2008/11/28 (金)

キュベット : 200811 生化学若い研究者の会50周年記念連載 第2回 私の原点:25周年のころ

 

はじめに

会員も事務局も、時代とともにつぎつぎと人は入れ替わってきたにもかかわらず、”生化若手の会”が50年ものあいだ維持されてきたのは驚異的なことである。これは、”生化若手の会”が多くの若手研究者をひきつける魅力をもっているからだと思う。筆者は、1980年代に夏の学校やセンター事務局の運営にかかわった。また、本欄や過去の資料を集めて『生化学若い研究者の会のあゆみ1958~1988』を作成した。今回は、これらの経験の一部を紹介し、”生化若手の会”の魅力を考えてみたい。

 

第25回夏の学校

1985年に開催された第25回夏の学校は、大阪支部が準備・運営した。校長は伊勢川裕二君(現 大阪大学)、事務局長は筆者、分科会担当は原正之君(現 大阪府立大学)と亀山啓一君(現 岐阜大学)などであった。

節目の年にあたることから、①生化学研究の交流を行いその方向について考える、②生化若手の会の歴史を振り返り今後のあり方をさぐる、を基本方針に掲げた。メインの企画は、シンポジウム”生命科学って何?!――生命科学の歴史とそれを支えてきた研究者及びこれからの生命科学の方向性について”であった。

シンポジストには、”生化若手の会”にどのようにかかわり活動したのきあ、どのような考え方で研究に取り組んできたのか、を語ってもらった。大島泰郎氏(現 東工大名誉教授)は、初期の生化若手の会ででは幅広く多くの問題を取り上げ、生化学会もこれに協力的・好意的だったと述べた。研究の面では、”なぜ○○でなければならないのか”ということを考える、”おもしろいと感じたことのなかから人がまだやっていないことをやる”という姿勢を貫いてきたと語った。太田成男氏(現 日本医科大)は、オーバードクター実態調査や若手推薦理事に言及した。研究的には、誰もやっていない仕事をより早くやりたい、誰でもできる仕事は人より早くやりたい、と述べた。宗川古汪氏(現 京都工繊大名誉教授)は、学問的側面での発現を積極的にすべきである、生化若手の会は会員の本音を吸収し、組織化・普遍化していくことをめざすべきだ、と指摘した。小笠原直毅氏(現 奈良先端大)は、何のために研究をするのか、生化学はやるに値するのか、ということをつねに問いつづけ、その解答を見いだすべくやっていくことが重要だったと語った。

討論では、若手研究者のきびしい現状があらためて明らかにされるとともに、若手として批判すべき点を批判しつづけること、自分を高め自分の理想を創造しながら自己評価する必要があること、が鋭く提起された。生化若手の会は批判力をもった個人の結集として運動をしていくことが大切であることなどが確認された。こうして、”参加者の多くがこのシンポジウムによって活性化され、近年になく夏の学校を通して活性な状態で終えられた…”のである(伊勢川君による)。

 

さいごに

筆者は、”生化若手の会”に主体的・積極的にかかわることのなかから多くのことを学び、たくさんの友人を得ることができた。困ったときにはみんなが助けてくれた。夏の学校事務局の大阪支部が人数不足でいたらないところを、参加者や講師の方々がどれだけ補ってくれたことか。事務局のメンバーとは問題を共有し解決の道を探った。楽しく、明るく、笑って好きな仕事をしてもらうことの大切さなどを知った。

“生化若手の会”での経験は、現在までの教育活動・研究活動につながっている。夏の学校でのシンポジウムをもとにした『生化若手年表』の作成は、現在の筆者の家政学史研究のひとつの契機だったことにも思いあたる。”生化若手の会”は筆者の原点である。

 

倉元綾子(鹿児島県立短期大学)










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