シンポジウムに向けて講師の方々に事前にお答えいただいたアンケートの回答です。
白楽ロックビル先生
(質問1)
どういう理由・経緯で日本での職を選ばれたのですか?
[答]
博士号取得後、日本で就職してから海外ポスドクにいくか、海外ポスドクに行った後、その時の流れで漂流かと思っていました。海外ポスドクにいくと日本で就職するのは難しいと感じ、前者を選びました。
(質問2)
日本でPIになって良かった点・悪かった点は何ですか?
[答]
良かった点は、「日本という国」や「日本人」と一体感があることです。20代の頃から、どうせ苦労するなら日本で苦労したいと思った。貢献は小さくても日本という国に貢献したい。
悪かった点は、日本では、独創性・斬新さを発揮しにくい。人材登用が下手。世界的視点が弱い。
(質問3)
海外に戻りたいとは思いませんか?
[答]
思いません。歳と共に、この気持ちが強くなりました。
王 碧昭先生
(質問1)
どういう理由・経緯で日本での職を選ばれたのですか?
[答]
筑波大の教授が新しい研究を立ち上げるところ、アメリカの研究室まで電話していただき、新しい研究に参加してほしいとの誘いがありました。大学院時代の学会発表の時、教授は座長になさってよく質問してくださいました。
(質問2)
日本でPIになって良かった点・悪かった点は何ですか?
[答]
良い点: 学生と一緒に頑張ること、教えたり教えられたりすることアイデアと実験に助けたり助けられたりすること、どちらも研究人生にとって最高です。
悪い点: 女性研究者として一人で奮闘する孤立感がしばしばありました。乗り越えることはいい経験になり、この経験を生かして、今若手女性研究者が相談しにくるとき、アドバイスできるようになりました。
(質問3)
台湾で研究をしたいとは思いませんか?
[答]
思ったことは一度ありましたが、恩師に諭された言葉を思い出して、二度と思いません。
「台湾で研究すれば、初期は皆頑張るが、ある時期になると、研究への全力投球は段々油断してしまう傾向が見られます。本当に研究したいなら、常に自分を「at the point of no return」に置かなければなりません。覚悟を持ったうえこそその国に溶け込めるし、その国の人々と真剣に交流できるようになります。そしてその国で最後までやっていけるようになります」
自分自身はどこまで研究をやっていけるか、自分の力で答えなければいけません。
鮒恵子先生
(質問1)
どういう理由・経緯で海外(スウェーデン)での職を選ばれたのですか?
[答]
大学を終える頃になると日本で働くと事に対し制約を感じ始めていました.自由に憧れたのだと思います.学生の頃から女性に対する制約を特に感じておりましたから、世界で男女平等において一番進んでいるスカンジナビアの国を選びました.
(質問2)
スウェーデンでPIになって良かった点・悪かった点は何ですか?
[答]
良い点はすべての点で人種性別に問わずの差を非常に公に常に討論し其れをなくそうとつとめている事です.此れは就職のときだけでなくグラントの選考のときにも最初の審査がそういう差に寄る偏見で影響されていないかもう一度取り上げて決断します.研究の内容に対しても周りからの干渉が無く自由度が高いと思います.
悪かった点はこの国ではアメリカなどに比べて国の研究費がずっと少ない事です.その上人件費が高いため、テクニシャンなどを雇う事はとても難くなっています.又学*生にも給料を払わなくてはならないので運営が大変です.
(質問3)
日本でに戻りたいとは思いませんか?
[答]
別に思いませんが年が寄ったら返りたくなるかも分かりません.しかし日本に来てスェーデンに帰るたびに自然に囲まれた生活にもどってほっとします.
大沼信一先生
(質問1)
どういう理由・経緯で海外(イギリス)での職を選ばれたのですか?
[答]
はじめはアメリカのUCSDでポスドクを行っていたのですが、そのときのボスProf. Christine HoltとそのパートナーであるProf. Bill Harrisがイギリスのケンブリッジの教授として招待されたことにともない、イギリスに移りました。その3年後にケンブリッジに新しい研究所ができることにともないPIの募集があり、周囲に勧められ応募したところ職を得ることができました。基本的には海外で独立できればと考えていたのと、海外に出る以前は東北大学の工学部で全く違う分野で研究を行っており神経発生や癌の分野での研究経験は数年しかないのに、ケンブリッジ大学という研究環境が非常に優れている場所で独立することができ非常に幸運だったと思います。
(質問2)
イギリスでPIになって良かった点・悪かった点は何ですか?
[答]
良かった点
ケンブリッジの場合、研究環境が非常に優れており、著名な研究者と積極的に交流しながら、刺激的な環境の中で研究ができるのが一番だと思います。 PIになるとなかなか自分で手を動かして研究はできませんが、日本とは違い、ほとんどの時間は研究に関したことに専念できます。また、イギリスは考えることを重視しる傾向が強く、非常に刺激になっています。
悪かった点
あまり物事を負に考えない方なので、あまり思いつきません。唯一あるとすれば、研究グラントをとるのは日本より大変で、それ以外の研究費はほとんどないのでそれなりのプレッシャーがあります。また、研究には直接関係ありませんが、日本にいる両親が病気になったときに大変だと感じました。
(質問3)
日本に戻りたいとは思いませんか?
[答]
海外に出て10年になりますが、はじめの数年は日本の食事や生活が懐かしく思っていましたが、今はあまり感じなくなっています。イギリスでの研究・生活環境には満足しているので、今すぐに帰ろうとは思いませんが、将来的には何らかの形で日本のサイエンスに貢献できればといつも思っています。
近藤久雄先生
(質問1)
どういう理由・経緯で海外(イギリス)での職を選ばれたのですか?
[答]
1.日本に帰国しようと思ったが、将来性のある適当な職がなかった(日本に
コネがなかったので)。
2.丁度その時に、ボスのGraham Warrenから、英国で独立することを勧められた。
(質問2)
イギリスでPIになって良かった点・悪かった点は何ですか?
[答]
良かった点
1.若い頃に自分の意志と責任で自由に研究が出来たことで、自分の個性を確立できた。
2.ラボ間で機器の共有が出来たため、比較的に容易にラボのセットアップが出来たこと。
3.雑用が少なく、自分自身で実験が続けられたこと。
4.独りぼっちで自分の実力がまともに試されているという側面があり、自分の力の認識が出来て研究者としてやっていける自信がついた。
悪かった点
1.英国で良い人材のリクルートに苦労した。特に大学院大学や21COEが始まってから、日本から良い人材が来なくなった。
2.インパクトのある良い論文が書けたと思うが、(日本にいる同世代の研究者と比べて)論文数が少なくなった。そのため、日本に帰る時に少し苦労した。ラボのサイズが英国全般で比較的小さいのも一因。
3.同様なことであるが、日本と英国でのサイエンスに対する感覚が異なっており帰国後に困った。そのギャップには、今も苦労している。一つ例を挙げると、基礎サイエンスに対する評価や興味が日本では特に低いような気がする。特に、日本の若い人の間でそれが顕著であり、我々の所のような基礎中の基礎
的な分野では人材募集では本当に苦労している。
3.日本に帰ってから思ったことだが、英国滞在が長く日本での知名度が低いため、科研費や人材の獲得で苦労している。
4.英国のラボメンバーを連れて帰ることが出来ず、日本に帰ってきてから一から人材教育をせざるを得なかった。
(質問3)
なぜ日本に戻って来られたのですか?
[答]
元々、最終的には日本に帰って日本で仕事をしようと思っていたから。そのタイミングとして、40歳前半でないと日本に帰っても継続して研究できないと思っていた。その予想は、今も当たっていたと思う。また最終的に日本で仕事をと思った理由は、家族のこととか自分の定年後のことを考えての判断がある。それに加えて、故丸山工作先生から「オリジナルな仕事を日本発で」という激励を受けて心意気に感じたことも大きな一因。
そういった経緯でいずれは日本に帰ると思い、ケンブリッジでも主要な機器類は科学技術振興機構からの研究助成で日本から購入していた。お陰で日本に帰国した時も、ラボのセットアップでは比較的困らなかった。帰国に際して、三菱化学生命科学研究所を選んだのも、その意味でも大変によい選択だったと思う。本当に日本への移行を良心的にサポートしてくれている。大学に直接に帰っていたら、とんでもないことになっていたと思う。
もう一つ付け加えると、日本に帰国する時にケンブリッジ大学 CIMRが大変に心配してくれ引き留めてくれたのにも、心から感謝している。「日本に帰ってunhappyだったら何時でも戻ってこい」ということで、ラボスペースもそのままでWellcome Trustからも5年間のグラントをとって待っていてくれた。結局、九州大学に異動した際にそれらは辞退したが、2年間も待ち続けてくれたケンブリッジ大学の暖かい配慮と柔軟性は、日本にないものだと思う。日本に*帰って最初の仕事がDevelopmental Cell誌に掲載された時にも、ケンブリッジ大学CIMRの所長が一番にお祝いメールをくれた。その時には有り難さで思わず目頭が熱くなった。
いずれにせよ、上記のような英国・ケンブリッジ大学と日本・三菱化学生命科学研究所の両方の協力により何とか日本に帰ってこられたが、大変な勇気・労力も必要であり、結構リスクも伴う異動であったと心から感じている。両研究所の柔軟な対応がなければ、日本に帰るのを断念していたかもしれない。本当に、海を越えてラボを移し研究を継続するのは難しいものです。
金木先生
(質問1)
どういう理由・経緯で海外(アメリカ)での職を選ばれたのですか?
[答]
アメリカに留学して、もう少し研究に専念したかったので、アメリカでポジションを探して、たまたま、ポジションが見つかったので、結果的に長くアメリカにいることになりました。
(質問2)
アメリカでPIになって良かった点・悪かった点は何ですか?
[答]
アメリカのPIの方が、グラントに費やす時間とエネルギーは膨大ですが、administrative issuesにかける時間は日本におけるよりも少ないと思います。日本にいるよりも、子供や家族と過ごす時間が多いように思います。
言葉と文化の”壁”があって、大変です。しかし、そうした困難をチャレンジだと思って、自分の人生にプラスだと思わなければ、アメリカには今いなかったように思います。
(質問3)
日本に戻りたいとは思いませんか?
[答]
日本に帰っていれば良かったかもしれない、と何遍思ったかわかりません。今も、日本に戻りたいという気持ちもありますが、今、日本に帰ったら、こちらで育った子供たちの教育が大変だろうなと思います。
島岡要先生
(Q1-1) Why did you dicide the PI position in US?
[A]
Becuase I got an oppportunity to (try to) start an indepdendent lab from an academic institution in the US, (before getting the one from Japan).
I had a sketchy career plan that I wanted to be indepdentent by 40 in any fields of professionals that I was eligible to (e.g., director of clinics, indepdendent reseracher, leader of a teaching institution). I started an independent career in the U.S., simply because the very first offer happened to be given to me from a school (=Harvard) in the US (when I had 2 years to 40). And I took it.
(Q1-2)
And how did you find it?
[A]
I was recruited.
I was recuited at least partly because I made efforts to network with influential people (who would serve in serach committees), sending a message (unofficially) that I published good papers and was looking for a job.
(Q2) Please tell us a good and bad point doing PI in the US?
[A]
The good is seemingly fair competition that would allow winners a huge academic freedom as well as give losers a second chance to come back.
The bad (or ugly) is too harsh competition that drives everyone crazy.
It's just a matter of balance.
(Q3) Do you want to come back and reserch in Japan? Please let me know if so or if not?
Professionally, I would be open to any oppotunities all over the world.
[A]
Personally (as a native Kansai-jin), I would come back to my country.
野水先生
(質問1)
どういう理由・経緯でカナダでの職を選ばれたのですか?
[答]
米国NIHにおいて、8年以内にtenure trackをとれないポスドクは出て行かな くてはならないという「8年ルール」というものがあり、当時のNIHの状況で はtenure trackにのれそうになかったのでアメリカ・カナダで就職活動をしま した。20通ぐらいの応募を出したのですが、カナダのNRC のResearch Officer からofferがきたのでそこにしました。もう一つ、Georgetown UniversityからもAssistant Prof.のofferをもらったのですが、講義をしなく てはいけない様だったので、講義もないNRCにしました。
(質問2)
カナダでPIになって良かった点・悪かった点は何ですか?
[答]
良かった点は、海外で生きるという土俵にのれたことが最大の収穫であると思 います。その土俵にのったとき、日本の良さが再確認でき、「日本に帰ろう」 という踏ん切りと、それに伴う大きな力が出せたのではないかと思います。
悪かった点は思い浮かびません。
(質問3)
カナダに戻りたいとは思いませんか?
[答]
旅行でなら行きたいと思いますが、戻りたいとは思いません。
広海先生
(質問1)
どういう理由・経緯でアメリカでの職を選ばれたのですか?
[答]
既にアメリカでポスドクをしていた.アメリカではポスドクの後にassistant professorとしてPIになるのが普通のキャリアパスなので,いわばデフォルトのように職探しをした.当時の日本にはまだ若手が独立できる機会は少なかった.
(質問2)
アメリカでPIになって良かった点・悪かった点は何ですか?
[答]
良い同僚に恵まれた.経験が豊富になった.「違い」がみえた.
車のラジオを盗まれた(2回)
(質問3)
アメリカに戻りたいとは思いませんか?
[答]
思わない.