(蛋白質核酸酵素7月号 Vol.49(2004)より許可を得て転載)
日本独自の研究を武士道から育む

 昨今の研究式の欧米化は日本における研究環境を画一的かつ合理的に変化させている。これは日本が欧米の制度・方法を学び、自発的に取り入れてきた成果であるが、今日ではそれが単なる模倣に終始している印象を受ける時がある。このような欧米かの怒濤にあらがうかのように登場したキャッチフレーズに「日本独自の研究」という言葉がある。思うに、昨今の欧米かの潮流は、明治の文明開化がそれまでの日本の制度や慣習を一変させたことを彷彿とさせる。かつて幕末の動乱の中、日本独自の文化・伝統の衰退を危惧した吉田松陰は「かくすれば かくなるものと 知りながら やむにやまれぬ 大和魂」と詠んだ。日本の将来を憂えた維新の志士たちを倒幕に駆り立てたこの“武士道精神”は、欧米かの潮流に乗りつつ日本独自の研究を志向する上での現代的羅針盤となりうるのではないか。

 まず、「日本独自」の意味を、文化・伝統という潮流から考えてみたい。例えば、日本が世界に誇る独自の研究として知られるものに複合培養系技術がある。日本酒は麹による米のデンプンの糖化と酵母による発酵が同時に進むため、ワインやビールでは例を見ない20%以上の高いアルコール度数が得られる。醸造に見る日本独自の研究の特徴・魅力は応用力であり、それは工学分野に目を向けると枚挙に暇がない。日本は伝統的に、応用に向けたベクトルの駆動力である利益や実用性を加味した対象の選定や、応増に必要とされる技術に優れていると言えよう。


 それでは、現代の私たちもお家芸たる「的確な応用」を「日本独自の研究」の中心に据えるべきだろうか。否、と著者は考える。日本は伝統的に優れた応用力があるのだからこそ、応用の原点も独創することに執着するべきではなかろうか。

 独創と一口に言っても、研究者によって定義は人それぞれだろうが、ここでは原点を生み出すような独創について武士道にそって論じてみたい。まず、独創の萌芽を発見することは難しい。次に萌芽の可能性を周囲に理解してもらい研究資金・研究の場を得ることも難しい。研究者が自身の年月と情熱を投入してこれらのハードルを越えると、独創的研究が開花しうる。ハードルの高さ故に、若手も中堅もボスも、しばしばその情熱の方向性を別物にすりかえてしまうことがある。萌芽の可能性を後押しするための制度の検討が大切なのは、言うまでもないのだが。


 ともあれ、研究者一個人にとっては、目の前のハードルにどう向き合うかが問題だ。その点でも、武士道は示唆に富んでいる。「義をみてせざるは勇なきなり」という格言がある。封建制度下の武士にとって、義は「正義の道理」であり、その履行を強いる動機になった。一方、勇は「義を行なう実行力」であるが、その履行に失敗したり不履行に終わると、武士は切腹をもって自身の正当性を主張した。鑑みて、現代日本の研究者にとって、義とは「自身の研究動機、研究課題」であり、勇とはやはり「義を行なう実行力」と言えるのではなかろうか。もちろん、切腹という物騒な話はさておき、私たち研究者は、実験によって根拠となる証明を重ねることで正当性を主張することができる、独創性を志向する研究者にとっては、義と勇こそ現代的課題であり、義をもって対象を見据え、勇をもってハードルを越えよ、と武士道は示唆しているのである。


 われわれ若手は、自身が独創の萌芽を生み出せるように、原点を見つめる勇を磨き、萌芽期の評価の辛さに左右されない不屈の信念をもった勇を大切にしたい。こうして生まれるであろう未来の独創的萌芽と、日本伝統の応用研究を結びつけることで、真にオリジナルで豊かな研究成果が創出されていくだろう。学問に王道はない。「武蔵野の あなたこなたに 道はあれど わがゆく道は もののふの道」(蓮田藤蔵)。研究は斬るか斬られるかの真剣勝負である。真理探究の茨の道に思いを致しながら、さあ、いざ出陣!!

生化学若手キュベット委員会
大沢要介


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