(蛋白質核酸酵素2月号 Vol.50 (2005)より許可を得て転載)


右手に資格、左手にチャレンジ


 サッカーの中田英寿選手が税理士の資格を取ろうとしていることは有名な話です。
 中田選手にとって、サッカーはあくまでキャリアの一部であり、サッカー選手として成
功することがすべてではないそうです。
 ひとつのキャリアが終わったあとの人生を見通して、税理士という資格を目指しながら、
サッカーというリスクの高いチャレンジをするという彼一流の考え方は、われわれにも示
唆的です。詳しくは「組織に頼らず生きる――人生を切り拓く7つのキーワード」(小杉
俊哉・神山典士著、平凡社)をご参照ください。
 研究者という職業も、事情は大きく異なるものの、とくに基礎科学分野では、成功する
確率が少ない職業と考えることができるかもしれません。しかし、研究者予備軍である大
学院生が、成功の確率を厳しく見つめ、将来を見通して人生設計をしているかというと、
どうも心許ないように思います。教授や周囲からの甘い誘いに応じて、自分の能力を深く
省みることなく、きっとうまくいくだろうと希望的観測で大学院に進学し、ポストドク
ターまでは行くものの、大きな成果を得られることなく、きっと今年こそは大きな成果を、
と思いながら年齢ばかり重ね、他の社会でやっていくことのできるスキルもないまま路頭
に迷う…。
 これは決してホラ話ではありません。皆さんの周囲でも、そろそろこのような話が聞か
れてきていることでしょう。教授は成功者ですから、研究が上手くいかずどうしようもな
くなったという経験に乏しいでしょう(もちろん、大なり小なり失敗や挫折はあるでしょ
うが、結局は成功しているわけです)。だから彼らは、今は余計なことを考えず、研究に
専念せよと言うに決まっています。なぜなら、それで成功したのだから、それ以外の提案
はできないのです。
 しかし、成功は努力の量だけに依存してはいません。努力や犠牲を払い研究しなければ
成功しませんが、努力したからといって成功するとは限りません。運や能力など、さまざ
まな要素がからみあって成功するわけです(とりあえず、成功の定義は保留します)。研
究者として成功できなかったとしても、誰も保障してくれません。結局のところ、自分の
キャリアを作るのは自分なのであり、一人ひとりがリスクをどのように捉えてチャレンジ
をするのかを考えていかなければならないのです。
 リスクを承知の上で、すべてを研究に捧げるというのであれば、たとえ失敗しても納得
がいくでしょう。それも一つの選択肢ですし、資格やさまざまなスキルの習得を目指すの
も一つの選択です。とはいうものの、すべてを自己責任に帰してしまうわけにはいきませ
ん。スポーツなら成功がわずかな確率であることを知ってチャレンジできますが、研究の
場合、そのあたりのことが見えてきません。甘い言葉で学生を誘っておきながら、うまく
いかなくても自分で考えろ、で放り出すのは、きつい言葉ですが詐欺に近いと言わざるを
えません。
 しかも、在学中は研究のみに専念させ、私生活さえ縛り他のことは禁止して、スキルの
習得や他の可能性の探索もできないような状況におかせたとするならば、使えない「余剰
博士」ばかり産生されてしまいます。もちろん、研究を通して身につく能力というのはあ
ると思いますが、本来ならテクニシャンがやるべき雑用まで大学院生の仕事となり、しか
も非常に狭い領域での成果を求められる今の大学院教育では、社会に通用する能力が養成
されるか疑問です。
 現役の学生・研究者には、隙間時間を使い社会に通用するスキルを身につけるしたたか
さを、大学当局や指導教官には、学生や部下が研究以外の領域へ進出するのが当たり前と
いう社会情勢の認識を身につけることを求めたいと思います。
 さて、Jリーグでは「キャリアサポートセンター(*1)」を設置し、セカンドキャリ
アの支援をしています。科学コミュニティは、大学院教育を自らの後継者養成に限定せず、
社会に必要な科学的知識、思考法を身につけた人材を送り出す、という意味があることを
自覚し、研究者の多彩なキャリア支援を真剣に考えていく必要があるのではないでしょう
か。

(*1)URLはhttp://www.j-league.or.jp/csc/index.html

深島 守 (NPO法人サイエンス・コミュニケーション)
E-mail:office@@scicom.jp