(蛋白質核酸酵素Vol.50 No.12 (2005年10月号)より許可を得て転載)


国立大学法人化から1年を経て

 国立大学法人化に対して日ごろ反対の立場でぶつぶつ言っていることを書けということ
だが、本誌のような雑誌にきちんと書こうと思うと荷が重い。だいたい分というものもわ
きまえなくてはなるまい。しかし、Cuvette委員からの執筆依頼の意図は、議論が起これ
ばよいということだろうと理解して、この際あまり気にしないことにした。

●大学の自由度は増したのか
 「法人化」のキャッチフレーズは「自由度が増す」だった。しかし、実態はそう甘くは
なかった。運営費交付金の削減によって、結局、ほとんどすべての国立大学法人で授業料
が引き上げられてしまった。財源でコントロールされれば、授業料ひとつ大学の裁量で決
められない。大学の自主・自律性の確保など、やっぱり怪しかったということが早くも明
らかになってしまった。
 法人化推進の最大の根拠だった「定員削減」回避ですら怪しくなっている。法案の審議
当時、高等教育局長が「国家公務員としての定員削減がいやなら法人化」と主張し、大学
側も法人化やむなしの理由としてあげたのはこれだった。確かに法による「定員削減」は
なくなったが、「人件費削減」という別の形での人員削減システムが確立された。文部科
学省は、教職員の削減は各大学が中期目標・計画に沿って、各大学の判断で「自主自律
的」にやっているとしている。大学からは、「約束が違う」と怒る声ではなく、効率化係
数による運営費交付金の削減状況の説明と、それによる教員削減の必要性が伝えられる。
授業料値上げの必要性と同じである。
 運営費交付金の削減は、大学教員の教育・研究環境を直撃しているはずである。ある大
学のある学科では、学生実験の経費を一挙に30パーセント削減したという例も聞く。しか
し、こうしたことが伝えられる一般教職員も、ない袖は触れない大学の状況を知れば、た
いして文句も言わない。

大学で進む「改革」の方向性
 7月27日付(*)で朝日新聞が「国立大学の8割は過去にどんな施設工事をしたかすら記
録していない」ことを報じた。「民間から会議に参加した専門家委員は、『普通の企業で
はありえない』と指摘した」とも報じているが、あたりまえだろう。国立大学の幹部職員
は、2,3年ごとに文科省人事で動く「公務員」だったし、法人化後も今のところ事情は変
わっていない。現時点で民間と比較しようとするほうが間違っている。
 大学で進む「改革」は、民営化のようなものではなく、助成金欲しさにどんどん箱もの
を建設しつづけて、結局、財政破綻した「地方自治体化」のほうが近い気がする。予算獲
得のため、とにかく「使える」システムに無批判にどんどん対応していく状況がないだろ
うか。法人化によって権限が強化された学長の多くは、「トップダウンの運営」が可能に
なったことをあげて、法人化してよかったとしているようだ。悪名高い「教授会」に代表
される部局自治に阻まれて、何も変わらない、何も帰られなかった大学が、トップダウン
で変えられるようになったということだ。良くも悪くも「マルチバーシティー(multiver-
sity)」だった大学が、似非トップダウンの「地方自治体化」されていくように思える。
言い過ぎだろうか。
 
●今後への危惧
 大学構成員の側には、日々の競争圧力と「トップダウンの運営」により、自分のこと以
外は強いて考えないほうが、大学でうまく生きていけるようなシステムが定着しようとし
ている。これまでもある程度はそうだったのだろうが、「法人化」によって加速された大
学の一番の変化はこれかもしれない。トップダウンの運営をきちんと評価していく力量が、
大学教職員の側に維持されていくのだろうか。
 国立大学は「法人化」されてしまったし、さまざまな「改革」が進んでいく。任期制の
大幅な導入や、成果主義の導入も検討されている。これらの動きに対してほとんど声が上
がらない大学の状況は不気味であり、将来が危惧される。評価圧力におびえつつ、なにも
私が目立たなくても、と思いながらも「反対」なのである。


渡邉信久(北海道大学大学院理学研究科)
E-mail:nobuhisa@@sci.hokudai.ac.jp

(*)2005年現在です。(キュベット編集部注)