(蛋白質核酸酵素Vol.50 No.15(2005年12月号)より許可を得て転載)


大学問題の“失われた10年”
―20世紀型科学の終焉とノンアカデミック・キャリアパス―

 1990年代、日本では失われた10年といわれているあいだ、世界では市場の統合、いわゆ
るグローバリゼーションが急速に進んでいた。研究開発の部分でも例外ではなく、研究者
の流動性が高まり国境をこえて研究開発が行われることがめずらしくなくなってきた。し
かし、その状況下にあって日本は、人口あたりでみた博士号保持者の数が少なく(とくに
理学博士が少ない)、また取得基準もはっきりせず、資格としての水準が計りがたいとい
う問題が米国などから提示されていた。しかも、欧米で有名な研究所は大学などの公的な
機関であったが、日本では重要な研究は企業の所有する私設研究所で行なわれることが多
く、透明性が低いということも問題にされた。そのため、基準の国際化や博士号保持率の
増大と大学の研究開発能力の底上げがめざされたのが、科学技術基本法や大学院重点化と
いった政策であった。
 同じく、欧米では博士の就職先としてベンチャーやNGOが急速に発達した。このことに
は、増大を続けていた研究職の頭打ちという事情も関係している。どんな企業でも、ヒラ
の労働者より管理者のほうが人数が少ない。ふつうの企業であれば昇進できない人が現わ
れたり、出向という形で対処されたりする。ところが、人口比でみた研究者の数は20世紀
をとおしてふえ続けていたため、特別な事情がないかぎり多くの大学院生は次のステップ
である常勤研究者に進むことができた(また、それが保障されていたからこその「高学
歴」であったともいえる)。ところが、研究者数の増加が頭打ちになってみると、若手研
究者の処遇は大きな問題になる。平社員に相当する大学院生にとどまっていては食ってい
けないし、ポスドクのような職には任期が厳しく設定されていたからである。そこで、活
路を求めた若手研究者たちがベンチャーやNGOに進出した。また、この方向性をおおむね
予見していた大学は、院生のノンアカデミック・キャリアパスの支援として、たとえば理
学博士号と経営学修士号の両方の資格を取ることを推奨するなど、積極的な方策をとった。
この大学当局の対応の早さも、日本との大きな違いであろう。
 研究者人口の拡大が頭打ちになったという事情は世界共通のものであり、米国でも定員
が埋まっているため、優秀な若手にテニュア(終身在職資格)を出せない、という問題が
聞かれるようになった。しかし、余剰の院生を社会の必要なセクターに割り振るシステム
の設計が遅れたのは、日本の特殊事情である。近年、展望もなく博士をふやしたとして大
学院の重点化が問題であったと非難されることが多いが、経緯を考えると、実際は大学と
改革を進めた政府サイドのコミュニケーション不足であり、ひいては、21世紀において望
まれる大学像についての社会的な議論が不足していたのが本当の問題であったと考えるべ
きである。ただ、この点に関して言えば、近年単なる研究開発ではなく、その社会的な意
義を考えるための研究に予算が下りるようになっていたり、大学院ベンチャーや科学コミ
ュニケーターといったノンアカデミック・キャリアパスのための制度が整いつつあるなど、
それなりの措置は進んでいる。
 もちろん、スペシャリストを好む欧米型組織と違って、ジェネラリストを好む日本企業
に「博士」が直接受け入れられる余地は大きくないかもしれない。しかし、おのずからス
ペシャリストが求められるような、シンクタンク、ベンチャーやNPOといった領域には今
後も延びる余地があるし、そういった領域を伸ばすことが若手の研究者だけではなく、日
本社会の利益にもなることを訴えていくことは必要であろう。
 今後の課題としては、国連からも環境の未整備が指摘されたリカレント教育の充実など
で、より大学と社会の垣根を壊していくことが重要であろう。日本では社会人枠の位置づ
けが不明確だが、本来のリカレント教育は、キャリアの適切な時期にそのとき必要なスキ
ルを学べるサポート体制が整っているかということであろう。
 いずれにしても、社会との接点をどうつくるかということに関する、若手研究者や彼ら
を指導する教員たち自身の意識改革が必要とされてもいるということでもある。

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春日 匠 (NPO法人サイエンス・コミュニケーション)
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