(蛋白質核酸酵素Vol.51 No.2 (2006年2月号)より許可を得て転載)


若手研究者の能力を引き出す科学コミュニケーション

 研究者を目指す学生の多くは、生き物の持つ不思議さ・精巧さに感動し、研究に憧れを
抱いて大学院へと進学しただろう。しかし、ポストポスドク問題や大学院生の経済支援縮
小など、現在、若手研究者を悩ます問題は数多い。これらの問題を目前に、初心を顧みる
余裕もなく、実験に忙殺される日々をおくる大学院生も多いのではないだろうか?博士号
取得には論文が、論文執筆には実験データが必要である。実験データを得るための日々の
努力はもちろん必要不可欠であるが、博士という研究者の証を得るためには“おもしろい
と思える研究テーマを自ら見いだす能力”が重要である。その能力を眠らせてしまっては
いないだろうか?
 近年、専門家が一般市民へ科学を紹介することの重要性が認められてきた。社会のなか
で本当に必要な科学を育てていくためには、一般市民と専門家との双方向の科学コミュニ
ケーションが必要だからである。しかし、重要性はそれだけではない。私たち若手研究者、
とくに大学院生が科学コミュニケーションに携わることは、大学院生自身の眠れる能力を
ひき出すよいきっかけとなるのである。
 ひとつ想像して欲しい。一般の人々に研究内容を紹介する時、どのような心構えをする
だろうか?まずは、興味をもってもらうために、受け手が何をおもしろいと感じてくれる
のかを考えるだろう。そして、そのためには、まず自分が何をおもしろいと感じていたの
かを再認識するだろう。次に、そのおもしろさをより明確に伝えるため、自分の研究テー
マを一般的にかみ砕いて見つめ直すだろう。これだけで、研究に憧れを抱いていた初心を
少し思い出さないだろうか?
 さらに、実際に一般の人々とコミュニケーションをとると3つの反応が返ってくる。1
つ目は、受け手がおもしろさを共有してくれる場合。2つ目は、受け手に疑問を投げかけ
られる場合である。1つ目では、感動を共有した充実感が得られるとともに、日々の研究
へのモチベーションも上がるだろう。2つ目では、自分の理解が不十分だった点や、新た
な考え方を知ることができるだろう。どちらも自分の研究に取ってプラスになることであ
る。しかし、3つ目の反応として、受け手に自分の研究意義を否定される場合もある。自
分のライフワークでもある研究を否定されると、腹が立つこともあるかもしれない。しか
し、そこは自分と受け手の理解のギャップを考察し、また、そのギャップを埋めて、おも
しろさを伝える手段を試行錯誤するべきである。その結果、前述の2つのポジティブな結
果が新たに生まれてくるであろう。
 このように、一般市民との科学コミュニケーションの実践は、専門家を目指す大学院生
にとっても大きな利益となる。実際に「ゲノムひろば」(http://www2.convention.co.jp/hirobag/)
のような、一般市民との対話を重視した、科学コミュニケーションイベントに参加する機
会が増えれば良いのだが、身近なところからも実践することはできる。異分野の研究室の
人や、大学ならば学部生に、自分の研究紹介を行えばよいのだ。このような経験は、前述
の効果が得られるだけでなく、科学コミュニケーションを意識する機会にもなりうる。
 指導者によっては、科学コミュニケーションに割く時間を惜しむ人もいるかもしれない。
しかし、科学コミュニケーションに携わることは、大学院生が研究意義を再認識し、モチ
ベーションを上げるよいきっかけとなる。研究の本質を理解しながら意欲的に実験を行え
ば、より効率的に実験結果を出すことができる。また、データの偽造や改竄などといった
研究モラルに反する行動も生まれないだろう。ポスドク1万人計画・大学院重点化による
“大学院生の質の低下”が騒がれるいま、大学院生には研究意欲とプロ意識を磨くことが
重要である。研究への正しい姿勢を再認識させるといった倫理教育の面からも、科学コミ
ュニケーションの実践は、意識改革を行うよいきっかけとなるだろう。

白井哲哉(京都大学大学院 生命科学研究科 高次生命科学専攻 生命文化学分野)
E-mail:tshirai@@lif.kyoto-u.ac.jp
研究室ホームページ:http://www.zinbun.kyoto-u.ac.jp/~kato/