『脳科学ーシナプスにおける生化学、分子生物学』
オーガナイザー:(畠中謙)

脳機能がコンピュータと根本的に異なっている特徴とは何か?私たち人の立場から考えてみますと、外からの様々な入力、つまり経験や学習に応じてハードウェアを組み換える事ができるということです。ヒトを含めた高等動物の脳は柔軟かつ可塑性に富んだ機能を持ち、積極的にハードウェアの回路を再構築する力、つまり動的であると考えられます。したがってコンピュータの様に静的な回路ではなく、その時々、状況に応じて変化します。回路の可塑的な素子であるシナプスは1本の神経線維の末端に無数に点在しており、神経細胞と神経細胞とを結ぶ微細なユニットです。このシナプス形成に関係する可塑性の分子メカニズムの調べる事で記憶、学習などの高次脳機能を明らかにするだけでなく、痴呆疾患、精神神経疾患、てんかんなどの病態解明、治療法の開発を導く可能性があります。神経のシナプスはプレシナプス(前側)とポストシナプス(後側)という2つの特殊化した構造からなり、一方向性にシグナルを伝達します。この特殊構造の形成と維持にはプレシナプスとポストシナプスにそれぞれ固有の蛋白質が局在する必要があります。今回のワークショプ(WS)では、シナプス伝達シグナルを担う分子の生化学的、分子生物学的研究を現在進行中の実験を含め、語っていただこうと思います。特殊化したプレシナプスの構造を担う蛋白質の生化学的機能の同定、及びその生理学的役割の解明(大塚先生)、またポストシナプスに存在する重要な蛋白質あるいは酵素同定、及び機能解析(深田先生)に関する最新の研究を紹介していただき、このWSを聞いて下さった皆さまには、少しでもこれからの脳科学の方向性を理解して頂けたらと考えております。

<参考書>
脳神経研究2004、実験医学増刊、<第2章:受容体とシナプス形成>羊土社、vol.21,2003,p282-294
<もっと勉強したい方へ>
1. Ohtsuka, T., Takao-Rikitsu, E., Inoue, E., Inoue, M., Takeuchi, M., Matsubara, K., Deguchi-Tawarada, M., Satoh, K., Morimoto, K., Nakanishi, H., and Takai, Y. (2002) J Cell Biol 158, 577-590
2. Takao-Rikitsu, E., Mochida, S., Inoue, E., Deguchi-Tawarada, M., Inoue, M., Ohtsuka, T., and Takai, Y. (2004) J Cell Biol 164, 301-311
3. Fukata, M., Fukata, Y., Adesnik, H., Nicoll, R. A., and Bredt, D. S. (2004) Neuron 44, 987-996
4. Tomita, S., Fukata, M., Nicoll, R. A., and Bredt, D. S. (2004) Science 303, 1508-1511


【深田正紀先生】 講師要旨

タイトル:ポストシナプスにおける受容体動態の制御メカニズム
〜新規PSD-95パルミトイル化酵素の同定と機能解析〜



 シナプス形成、可塑性の分子メカニズムの解明は記憶、学習などの高次脳機能を明らかにするだけでなく、痴呆疾患、精神神経疾患、 てんかんなどの病態解明、治療法の開発を導くものである。シナプスはプレシナプスとポストシナプスという2つの特殊化した構造からなり、 一方向性にシグナルを伝達する。この特殊構造の形成、維持にはプレシナプスとポストシナプスにそれぞれ固有の蛋白質が集積する必要がある。 例えば神経伝達物質の放出に関わるSNAP-25はプレシナプスに、イオンチャネル型受容体のアンカリング蛋白質であるPSD-95はポストシナプスに 選択的に配置される必要がある。SNAP-25やPSD-95はパルミトイル化という翻訳後脂質修飾を受け、この脂質修飾がSNAP-25やPSD-95の特異的 な局在および機能を制御している。一方で、脳内興奮性シナプスの主要な神経伝達物質であるグルタミン酸の受容体であるAMPA受容体のシナプス への輸送やリサイクリングは神経活動依存的に制御され、神経可塑性の本体であることが示唆されている。PSD-95はAMPA受容体の主要結合 蛋白質であるstargazinを介してAMPA受容体をポストシナプスにアンカリングするので、PSD-95の動態制御は神経可塑性において重要な役割を果たしている。 パルミトイル化修飾は他の脂質修飾とは異なり、可逆的で外界刺激によりダイナミックに制御されることが特徴であるが、最近、PSD-95のパルミトイル化状態が神 経活動依存的に変化し、AMPA受容体のポストシナプスでの発現量を調節していることが明らかになった。このようにパルミトイル化反応はリン酸化やユビキチン化 修飾と同様に神経活動をダイナミックに制御しており、また他にも多くの機能蛋白質(セロトニン受容体等の7回膜貫通型受容体、NCAM等の接着分子、Gas、H-Ras等 のシグナル分子)を修飾し蛋白質機能を制御している。しかしながらパルミトイル化修飾をになう責任酵素(Palmitoyl Acyl Transferases: PATs)はその精製における 困難さから長い間同定されておらず、パルミトイル化の反応様式、制御機構の詳細も不明のままであった。  我々はパルミトイル化修飾の制御機構を明らかにするために、 酵母での遺伝学的知見をもとにゲノムワイドに探索し23種類のパルミトイル化酵素群をクローニングした。さらにPSD-95を特異的にパルミトイル化する 酵素PSD-95 PATs (P-PATs)サブファミリーを同定した。P-PATサブファミリーは培養細胞内、試験管内いずれにおいてもPSD-95をパルミトイル化し、 HEK細胞などの培養細胞内でPSD-95の局在を変化させることを明らかにした。P-PATは脳に発現しており、初代培養海馬神経細胞においてP-PATのドミナント ネガティヴ体を用いて内在性のP-PAT活性を阻害すると、PSD-95のポストシナプスへの濃縮が阻害され、AMPA型グルタミン酸受容体のシナプス膜表面での発現量が減少し 、自発シナプス活動が低下することを明らかにした。以上の結果は、P-PATファミリーが神経細胞でパルミトイル化酵素として機能し、PSD-95の局在を制御してAMPA受容体動 態を修飾しシナプス機能において重要な役割を果たすことを示している(図参照)。さらに、他にパルミトイル化されることが報告されている 蛋白質(SNAP-25、GAP-43、Gαs、H-Ras、Lckなど)に対する酵素を探索、同定し、23種類の酵素群に基質特異性やサブファミリーが存在することを明らかにした(文献1)。 この成果は長らく不明であったパルミトイル化修飾反応の全容解明に向けて門戸を開いたものと考えられる。  また我々はタンデムタグを挿入したAMPA受容体を発現させた トランスジェニックマウスを作成し、AMPA受容体複合体を生化学的に精製することに成功し、特異的に共精製されるタンパク質を同定した。本ワークショップではAMPA受容体 複合体の分子構成とAMPA受容体のシナプスへの輸送メカニズムについても議論したい。

(文献)
1. Fukata M, Fukata Y, Adesnik H, Nicoll RA, Bredt DS. 2004. Identification of PSD-95 Palmitoylating Enzymes. Neuron 44: 987-996
2. Tomita S, Fukata M, Nicoll RA, Bredt DS. 2004. Dynamic interaction of stargazin-like TARPs with cycling AMPA receptors at synapses. Science 303: 1508-1511  


【大塚稔久先生】 講師要旨

演題:

シナプス結合の形成・維持・破綻のメカニズム解明へ向けて



学習や記憶、情動形成などの脳高次機能は、複雑な神経回路網の情報伝達によって制御されています。シナプスはこの複雑な神経回路網の基本ユニットであり、シナプスの形成・維持・破綻のメカニズムを明らかにすることは、神経回路網形成の分子基盤を理解するのみならず、各種神経変性疾患発症のメカニズムの理解に大きく寄与すると考えられます。  私共は、最近、古典的な生化学的手法と質量分析法を組み合わせることで、新規のシナプス蛋白質CASTを発見しました。CASTはプレシナプスのアクティブゾーンと呼ばれる領域に特異的に局在していて、他のアクティブゾーン蛋白質である、RIMs, Bassoon, Munc13-1, Piccoloと相互作用し巨大な分子複合体を形成しています。プレシナプスのアクティブゾーンは神経伝達物質放出の場所とタイミングを決定しているのみならず、シナプス形成においても重要な役割を担っていると考えられています。本講演では、CASTの機能解析の最新データをお見せすると同時に、発見に至るまでの経緯(テーマの選び方、苦労話など)もお話したいと思います。また、私自身の大学院生時代のすごし方や当時考えていたことなども紹介したいと思います。

http://www.toyama-mpu.ac.jp/md/clm/rinken.html


【深田正紀先生】

略歴
1994年3月  神戸大学医学部医学科卒業
神戸大学医学部附属病院研修医(小児科学専攻)
2000年3月  広島大学大学院医学系研究科生化学講座(菊池章研究室)
(医学博士号取得)
2000年4月- 名古屋大学大学院医学系研究科細胞情報薬理学講座
       日本学術振興会特別研究員(PD) (貝淵弘三研究室)
2001年4月- 名古屋大学大学院医学系研究科細胞情報薬理学講座
       助手
2003年4月- University of California at San Francisco, USA
        Dept. of Physiology
日本学術振興会海外特別研究員(David S. BREDT研究室)
2005年3月-   国立長寿医療センター研究所 遺伝子蛋白質解析室
省令室長

趣味 Science, Travel

若手研究者に一言; 私も若手のつもりですが、お互い素晴らしい仕事をしましょう。


【大塚稔久先生】

履歴
1969年 長崎県は対馬に生まれる。
1994年 3月 鹿児島大学医学部卒業
1994年 4月 大阪大学医学部医学研究科博士課程入学(高井義美教授)
(低分子量G蛋白質の生化学)
1998年 3月 大阪大学医学部医学研究科博士課程卒業
1998年 4月 日本学術振興会特別研究員(PD)
(新規アクチン結合蛋白質の機能解析)
2000年 4月 株式会社カン研究所グループリーダー
(神経分野の研究を開始)
2005年 4月 富山医科薬科大学医学部臨床分子病態検査学講座助教授

趣味、海外ドラマ(映画も含む)。もちろん、SDS-PAGE

若手研究者へ(自分も若手もつもりですが、、):大学院、ポスドク時代は研究(実験)に集中できる最初で最後の時期かもしれません。“すべてはサイエンスのために”という気持ちで頑張ってほしいと思います。

研究テーマ
 学習や記憶、情動形成などの脳高次機能は、複雑な神経回路網の情報伝達によって制御されています。シナプスはこの複雑な神経回路網の基本ユニットであり、シナプスの形成・維持・破綻のメカニズムを明らかにすることは、神経回路網形成の分子基盤を理解するのみならず、各種神経変性疾患発症のメカニズムの理解に大きく寄与すると考えられます。  現在私共のラボでは、蛋白質化学・細胞生物学・分子生物学などの手法を用いて、シナプス形成のメカニズムを明らかにすべく研究を進めています。

1.神経プレシナプスアクティブゾーン形成の分子基盤
 アクティブゾーンはプレシナプスの膜直下に位置する比較的電子密度の高い構造体で、シナプス小胞のドッキングの場所として、機能的にも重要な働きをしていると考えられています。形態学的解析から、1960年代にはその存在が明らかになっていましたが、生化学的な解析が難しく、その構成因子と分子間相互作用は完全には明らかになっていませんでした。最近私共は、アクティブゾーンに特異的に局在する新規蛋白質CASTを発見しました(Ohtsuka et al.,2002. J. Cell Biol)。CASTは他のアクティブゾーン蛋白質であるRIM1,Bassoon,Piccoloと直接結合し、アクティブゾーンにおいて巨大な蛋白質複合体を形成していると考えられます(Takao-Rikitsu et al., 2004. J Cell Biol.; Deguchi-Tawarada et al., 2004)。今後、CASTおよびその関連蛋白質の機能解析を通じて、神経プレシナプスアクティブゾーンの構造と機能を、分子・細胞・個体レベルで明らかにしていきたいと考えています。

2.神経終末における新たなシグナル伝達機構の解明  この10年来の研究によって、シナプス小胞を構成する蛋白質群やSNAP-SNARE系に代表される開口放出制御因子が数多く同定されてきました。しかしながら、神経終末の成熟や神経伝達物質放出の分子メカニズムには依然として多くの謎が残されています。私共は、axon特異的な新規のシグナル伝達物質を同定し、現在その機能解析を進めています。今後、本シグナル分子の標的蛋白質を明らかにするとともに、開口放出および神経終末成熟における新たなシグナル伝達機構を明らかにしたいと考えています。

3.神経スパイン形成の細胞・分子メカニズム  ポストシナプスの特殊な構造体であるスパイン(棘突起)は、加齢やある種の神経疾患などでも、その構造が変化することが知られています。ポストシナプスの電子密度の高い領域はPSD(postsynapticdensity)と呼ばれ、各種神経伝達物質受容体やPSD-95/SAP90に代表される足場蛋白質が数多く存在しています。この構造体は、シナプスの種類によって(たとえば興奮性や抑制性シナプスなど)、その構成分子が大きく違うのではないかと考えられています。中枢神経および末梢神経における多種多様なシナプスの構造を考慮すると、まだまだ未知の重要な分子が残されているはずです。私共は、古典的な生化学的手法と質量分析法を組み合わせたり、分子生物学的手法を用いて、神経スパイン形成を制御する新規分子を同定したいと考えています。すでに、いくつかの候補分子を得ており、解析を始めています。

4.プレシナプスとポストシナプスを繋ぐ細胞接着機構の解明  シナプス結合は、上皮細胞などの接着機構と異なり、非対称の構造にその特色があります。このシナプス結合を制御する接着分子群としては、カドヘリンーカテニン系やニューロリギンーニューレキシン系などが知られていますが、詳細な接着機構の制御メカニズムはよくわかっていません。私共は、PSD/active zone分画を高度に精製する 系を確立しており、本手法を用いて、シナプス結合を制御する接着分子の同定を目指す予定です。


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