生命科学学際領域分科会

生命システムの理解へ向けて
〜目指せ!コペルニクス的転回!!〜

講師
小長谷 明彦 教授(北陸先端科学技術大学院大学知識科学研究科、理研GSC)
合原  一幸 教授 (東京大学大学院新領域創成科学研究科複雑理工学専攻)


「最近日本に元気がない、日本人が自信を失いはじめている。」と言われているが、果してそうだろうか。米国競争力評議会のイノベーションインデックスでは、日本は1996年から2005年まではNo.1を保っているし、欧州企業役員は日本に独創性がないといわれたのは昔の話で、最近では企業・大学から技術の限界を打ち破る技術開発がたくさん生まれているというし、また、米企業役員は日本からは世界最高の技術を生み出しつづけていると見ている。とはいいつつも、近年では中国の技術的な追撃には目を見張るものがある。さてそこで、次なるイノベーションはどの分野なのでしょうか?「それは生命科学だ!」(少し強引ですが、そうさせてください。)しかし、ここでの生命科学とは今までの生物学とも分子生物学ともころあいの違うものを指しているんです。すなわちここでの生命科学とは『生命システムの本質の解明』にまつわる生命情報学・数理生物学・ロボット工学のことを指しており、当分野の研究を勢力的に進められている2名の先生を講師として参加していただけることになりました。小長谷先生(生命情報学:Bioinformatics)、合原先生(数理生物学:Biomathematics)の両先生には、それぞれの先生方が御専門とされている分野における研究成果と、『生命システムの本質の解明』をキーワードに展開されている生命科学に関係している・今後大きく関係することが予想される学際領域研究の現状、さらには生化学を専門とする私達がどの領域で、どのようにして貢献していくことができるのかを御提言していただきます。生化学若い研究者の会の分科会としては新たな試みである、学際領域研究を取り上げてみました。当分科会では、幅広い層の参加者をお待ちしています。専門ではない方こそ参加していただきたいというのがこちらの趣旨です。また、現在の分子生物学の研究に物足りなさを感じている方、チャンスですよ!現在行なっている研究を違う側面から見直すきっかけになれればと、切々と願っています。オーガナイザーとしては、生命科学学際領域研究には、若い研究者の総力を結集することこそが創造性あふれる研究を行なう当分野発展の鍵と考えております。

少し話は変わりますが、物理学における莫大なデータを体系化したのが、アイザック=ニュートンであり、アルバート=アインシュタイン。現在、ゲノム(部品)という生命科学にとっての基礎データの出現で、やっと体系化(システム情報の統合データベース化、統一理論提唱)できるかもしれないという状態になってきている。すなわち生命科学は、これからやっと大きく発展していく前段階にもうすでに来ているのではないでしょうか?

さらに、本田技研株式会社が植物遺伝子の研究に着手、IBMが遺伝子研究に乗り出すなど、ほとんどの場合、生物学分野外からの当分野への参入がめまぐるしい。これには様々な理由があるにしろ、生命科学分野がいかに今後魅力的な分野に成長する可能性を秘めているかを推察のは極めて容易。新しい価値観が新しい科学技術を生み、それが新たな市場開拓につながり、そこへ新たな産業が生まれて人々の生活は豊かになる。

私達が目指していく道とはいったい何なのか?についても余った時間で是非とも先生を交えて議論していきたいと考えています。当分科会が研究意欲を刺激、魅力的な本分野への研究者の再整備のきっかけ作りの一助となれば、これほど嬉しいことはありません。それでは、分科会でお会いしましょう。

研究テーマ(参考までに):
 小長谷研究室
1. 分子生物情報処理(隠れマルコフモデル、遺伝的アルゴリズム)
2. 進化的システムに関する研究
3. コンピュータシステム(並列処理技術)
4. タンパク質立体構造解析システム
5. ゲノムデータベースからの知識発見
6. タンパク質立体構造予測法
7. DNA2次元電気泳動装置の開発と電気泳動像のコンピュータ自動解析システム
8. タンパク質2次元電気泳動像のコンピュータ自動解析システム
9. クライオ電子顕微鏡によるタンパク質単分子解析法

合原研究室
1. 脳における情報表現
2. 神経細胞における樹状突起のモデル
3. 記憶モデル
4. ニューラルネットワークの数理モデル
5. ニューラルシステムにおけるカオス
6. 脳の高次機能
7. 免疫系の数理モデル
8. 情報幾何学による力学系解析のための確率的手法による進化の仕組み
9. ウェーブレットによる時系列解析


オーガナイザー(所属先)
小葦 泰治 (OASHI, Taiji)
7月まで 京都大学大学院生命科学研究科高次生命科学専攻高次細胞制御学分野
8月以降 Mount Sinai School of Medicine Institute for Computational Biomedicine New York University Courant Institute of Mathematical Sciences (Joint Ph.D. Program)
  ※おまけ※ 留学に興味のある方、なんでも結構です。どうぞ気軽に御相談ください。


講演要旨

遺伝子知識スパイラル:ポストシークエンス時代のバイオインフォマティクス
講師:小長谷 明彦 先生 (北陸先端科学技術大学院大学知識科学研究科、理化学研究所ゲノム科学総合研究センター)

ゲノム科学研究は配列が決定すれば終わりというものではなく、配列決定は、「ゲノム解明」の序章にすぎない。配列の変異がタンパク質の立体構造および機能活性をどのように変化させ、細胞内での情報伝達、遺伝子の発現機能などの遺伝子ネットワークにどのように影響を与え、最終的に個体レベルにおいてどのような表現系の変異をもたらすのかという、より高次なレベルでの生命現象の解明が待ち受けている。このようなポストシークエンス研究を推進するためのバイオインフォマティクス研究戦略として「遺伝子知識スパイラル」について述べる。

一般に、生物学研究者は、実験→モデル化→実験と、研究者の経験的知識を中心に知識を体系化する傾向が強い。情報処理技術の活用は限定的であり、ゲノムデータベースに蓄積された知識を十分に活用しきれていないという問題を持つ。一方、情報処理研究者は、ゲノムデータベースからの知識発見や微分方程式などの数理モデルを用いたシミュレーションなど、計算機上に構築されたデータベースやプログラムを中心に生命知識を体系化しようとする傾向が強い。しかしながら、遺伝子そのものの知識知識の不足から、マイニング結果やシミュレーション結果に対する考察を十分におこなえていないという問題を持つ。別な言い方をすれば、生物研究は生得的に実験に基づく「暗黙知」を中心に生命現象を体系化しようとし、情報処理研究は生得的に計算機上にデータベースあるいはプログラムとして蓄積された「形式知」を中心に生命現象を体系化しようとする。遺伝子知識スパイラルでは、実験→知識発見→モデル化→シミュレーション→実験という一連のプロセスを循環させることにより暗黙知と形式知の知識創出を図る。実験→データマイニング→モデル化のプロセスは、生物学者個人が持つ「暗黙知」を、共有可能な「形式知」に変換する「表出」に相当する。知識発見は膨大なデータから有望な規則をシステマティックにスクリーニングするための手段であり、生物学者による解釈を経て、形式知として体系化される。モデル→シミュレーション→実験のプロセスは形式知を個人の暗黙知として獲得する「内面化」に相当する。シミュレーションは有望な仮説をシステマティックにスクリーニングするための手段であり、実験による仮説の検証を経て暗黙知として体系化される。一般に形式化された知識は蓄積しやすく、共有化されやすい。しかしながら、より本質的な深い知識は研究者の暗黙知として蓄積されている。遺伝子知識スパイラルでは両者の相互変換を促すことにより遺伝子知識の創出を図る。!


生命科学と非線形科学
講師:合原 一幸 先生 (東京大学大学院新領域創成科学研究科、東京大学工学部計数工学科)

今から 50 年程前に書かれた W. ウィーバーの論文 [1] は、その予言性の高さでよく知られている。彼は、科学が、それまで大きな成功を収めてきた 「単純さの問題」 や 「組織されない複雑さの問題」 を越えて、生命システムを典型例とする 「組織された複雑さの問題」 を今後深く理解する必要があること、そしてそのために第 2 次世界対戦中に開発が加速された電子計算機が重要な役割を果たすことを的確に指摘した。
他方でこの 50 年間に、生命システムのような非線形非平衡系を取り扱う非線形科学も、カオス理論や分岐理論等々、大きく進歩してきた [2, 3, 4]。同時に非線形モデル学においては、I. ニュートンらによる厳密解の求積解析、H. ポアンカレらによる幾何学的定性論といった古典的パラダイムを経て、最近ではコンピュータの高度な計算能力を背景としたアルゴリズム的モデリングとも言うべき新しいパラダイムが確立されつつある[5]。 そしてこのような非線形科学の進歩は、本質的に非線形ネットワークである生命システムを理解するための新しい方法論、すなわち 「要素還元論+非線形構成論」 を開拓しつつある。そこでは、生命システムの構成要素特性や相互作用特性の徹底的解明と総体としてのネットワークの非線形時空間ダイナミクスの数理解析の相互作用が大切となる。 本講演では、脳や遺伝子ネットワークを意識しながら、生命科学と非線形科学との関わりについて考えてみたい。

参考文献
[1] W.Weaver : American Scientist, 36, 536-544 (1948)
[2] 合原 編 : 「複雑系がひらく世界 - 科学・技術・社会へのインパク ト」, 別冊日経サイエンス (1997)
[3] 合原, 相澤 編著 : 「カオス研究の最前線 - 非線形科学の世紀へ向け て」, 別冊 ・ 数理科学, サイエンス社 (1999)
[4] 合原 : 「カオス学入門」,放送大学教育振興会 (2001)
[5] P.E.Rapp, T.I.Schmah, A.I.Mees : Physica D, 132, 133-149 (1999)