シグナル・トランスダクション分科会

細胞の中は交通渋滞?
〜交錯しあうシグナルは、今日も明日も無事故・無違反〜

講師
宮本 英七 先生 (熊本大学医学部薬理学第一講座 教授)


生化学を志す者は、何を目指しているのだろう。おそらくは、その多くの人達が、生命のしくみの面白さ、生命の不思議さに感動し、それを1つでも解き明かしたいと思っているのではないだろうか。細胞内のシグナル伝達ネットワークやシグナル伝達経路のクロストークは、あまりにも巧みで、それを見る者はただ感心させられ、その美しさゆえに陶酔させられる。

――しかしながら・・・と、ぼくはその一方で感じてしまう。ぼくたちは、その縦横無尽に走るシグナルの軌跡にばかり目を奪われてしまっていて、何か大切なことを見落としているのではないだろうか、と。

シグナル・トランスダクションを形作るということは、細胞内(時には細胞間も含めて)の出来事を点ではなく、線で結び理解することである。すなわち、ある生命現象を、伝達物質による一連の反応経路で説明することである。 多くの人がそう考えることだろうし、それが一般的だろう。しかし・・・

果たしてそんな簡単なものなのだろうか??

シグナル伝達に関する幾つかの論文を見ているときに、異なる刺激に対して、同じセカンドメッセンジャーが応答している事に気付いた経験はないだろうか。このとき、細胞はある刺激がなされたということを、セカンドメッセンジャーの濃度が変わったということでしか感知できない。それならば、逆に問おう。セカンドメッセンジャーの濃度が変わったということから、細胞はどうやってどちらの刺激による濃度変化だとわかるのだろうか。

シグナル・トランスダクションにつきまとうこういった素朴な疑問は、少し考えればいろいろと思いあたることがあると思う。当分科会では、こういった点に関して問題提起をしたい。つまり、当分科会の目的は、このシグナル・トランスダクションという枠組で、今現在何が説明できて、何が説明できないのか、ということを探って行くことである。

こういった問題を考えていく上で、ぼくたちの力になっていただける先生をお呼びした。熊本大学にいらっしゃる宮本英七先生である。宮本先生は、シグナル伝達、特にカルシウム・シグナリングで常に第一線でご活躍なさってきたこの分野の大家である。様々な視点から、問題提起していただこうと思っている。

もちろんこの問いかけに対する答えは、現段階では得られていない。しかし、みなさんにとって、この分科会がそういったことを考えるきっかけになれば、オーガナイザーとしてもうれしい限りである。


新世紀を迎え、いよいよ、ぼくたちの時代がやってこようとしています。ゲノム科学、ポストゲノム科学の進展は、ますます膨大な情報をもたらし、様々な分野で大きなうねりを生みつつあります。生化学は、この新しい流れの中で次のブレイクスルーを生み出す時期にきているのではないでしょうか。それは、ぼくら若手に託されているのです。
当分科会の講師である宮本先生の要旨もございます。そちらも合わせてご覧ください。そして、後は分科会当日のみなさまのご参加と活発な議論をお待ちしております。


オーガナイザー
鈴木 誉保(大阪大学大学院工学研究科応用生物工学専攻)


講演要旨
シグナル伝達とクロストーク
講師:宮本 英七 先生(熊本大学医学部第一薬理)

 ホルモン、神経伝達物質、サイトカイン、細胞増殖因子などによる受容体刺激にはじまる細胞応答は、シグナル伝達や細胞情報伝達機構(signal transduction)とよばれている。この機構によって生体は、臓器間の相互作用を調整し、内部環境の恒常性を維持して個体としてのホメオスタシスを保持することが出来る。生体にとって必須、不可欠の機構である。
 シグナル伝達の概念の確立には、cAMP の発見とその作用を明らかにした E.W. Sutherland の功績が大きい。肝臓でグリコーゲンを分解してブドウ糖の産生を促進するアドレナリン、グルカゴンなどのホルモン作用は、受容体刺激後、細胞内に産生される cAMP によって伝達されていることが分かった。cAMP の作用は他の臓器、例えば、甲状腺、腎臓、副腎皮質、骨、筋肉、脂肪組織などでも見出された。いわゆるセカンドメッセンジャー説の確立である。その後、セカンドメッセンジャーとして、cGMP、DG、IP3、Ca2+ などが知られるようになり、普遍的概念として、他の系にも適用し得ることがわかった。
 細胞内で産生されたセカンドメッセンジャーがどのような作用機構を持っているかが次の大きな課題である。cAMP は cAMP−キナーゼを活性化し、cGMP、DG は cGMP−キナーゼ、C−キナーゼを活性化する。Ca2+ は多様な作用を持っているが、カルモデュリンを介して多くのキナーゼを活性化する。細胞増殖因子受容体の多くは細胞内ドメインとしてチロシンキナーゼを持ち、刺激によって活性化される。このように、セカンドメッセンジャーの作用の多くが、セリン・スレオニンキナーゼ、チロシンキナーゼを活性化して発揮されていることがわかる。さらに、細胞内でキナーゼカスケードを形成して作用している。MAP キナーゼ、CaM キナーゼなどがその例である。また、SH2、SH3ドメインにみられるように、蛋白質間相互作用によるカスケードが存在して、作用を伝達している。
 受容体刺激にはじまる細胞内シグナル伝達がin vivo においては、in vitro の純粋な単一系で表現されるような独立した形で単一の経路で進行しているとは到底考えられない。多くの相互作用が存在するとは誰しも考えることである。シグナル伝達の中で、クロストークという言葉はすでに30年前に使用されていた。当時は、受容体間の相互作用のみに用いられる言葉であった。1つのホルモン、神経伝達物質等が複数の受容体を刺激し、細胞内にどのような効果をもたらすかを検索するということであった。現在クロストークの意味は受容体間だけでなく、もっと広く、細胞内カスケード間の相互作用も含む意味に用いられている。また、刺激因子、受容体の数に比較して、セカンドメッセンジャーの数は限られている。多様な刺激因子が細胞機能としてどのように調節されているかは興味深い。さらに、細胞によって反応性が異なることも巧妙な調節機構が関与していると思われる。これらの中には、次のような因子が考えられる。1)刺激因子の産生条件、2)受容体の組織、細胞における局在部位、3)反応分子の細胞内局在部位、4)細胞内構築、5)他の系との相互作用、6)プロテインキナーゼとホスファターゼ等である。
 実際例を検討しながら、in vivo で生起しているシグナル伝達の巧妙な調節機構について考察したい。