「何故、バイオベンチャーが必要か」
           
           日経BP社バイオセンター長 宮田 満


 当初はジャーナリストになろうなど爪のあかほども思ってはいなかった。

 植物の形態形成を支配する遺伝子や環境要因の解明を目指し、植物学の修士課程に入ったとたんに、誤算に気が付いた。第一の誤算は、性格的に研究に向いていないという点だ。私の材料(胞子から発芽したシダの糸状体)の細胞分裂の都合に合わせて、72時間サイクルの生活を強いられた。そのため、俗世界に触れることもなく、完全に個人の研究生活に没頭することになったが、これが性に合わない。結局は、人恋しさの余り、夜の巷を彷徨することになった。第二の誤算は、いざ胞周期を光で調節する系を確立したものの、25年前はその分子機構に迫るためにはPCRが存在していなかったため、ひたすらシダの大規模栽培を目指すしかなかったという技術的な限界だ。お陰で、修士2年の夏休みは小石川の植物園の裏側を開墾し、金沢八景の墓地から採取してきたアジアンタムを段段畑で栽培するという肉体労働に終始した。お陰で健康にはなったが、秋の稔のシーズンに息を凝らしながら集めた胞子はわずか2gにも達せず、材料集めだけで10年必要と悟った。

 翻然、日経新聞に入社、バイオの雑誌を作りたいと我が侭を尽くしたところ、入社1年半目で日経バイオテクを創刊させていただいた。以後、96年にはわが国初のバイオ・ポータルサイト、Biotechnology Japan (http://biotech.nikkeibp.co.jp/)、今年5月には日経バイオビジネスという雑誌をそれぞれ創刊する機会を与えられた。情報の面で少しでも若手の研究者にお役に立ちたいと思っている。

 思えば、私を取り巻く環境だけでも、インターネットなどのメディアの爆発的な展開、ゲノムを中心とするバイオ研究のこれまた超新星的な展開と、まことに目まぐるしい。新聞記者に止まっていたら、到底この変化のスピードに付いていかなかったと考えている。25年前の日経はサンケイより知名度が低かった。しかし、その当時の経営者はIBMが無理だといったのを押し切って、印刷システムを電子化するなど、進取の気質満ちていた。こうした挑戦を許す環境が、日経バイオテクやBiotechnologyJapanなどの革新的なメディアを生んだと考えている。何事も現状に甘んぜず、挑戦することが革新につながるのだ。

 当日は以上のような私事ではなく、大学や企業の研究を促進するために、いかにベンチャーという仕組みが必要となっているかを議論する。未だ江戸時代の士農工商の身分性を信じて「大学の研究者は企業化など考えるべきではない」という研究者には誠に耳の痛い話しとなる見込みだ。

基礎研究こそ命と高踏的に構えていられたのは、科学が富国強兵策によって国家という仕組みに組み入れられたための誤解に過ぎないことを論証したい。真理を発見しようという精神は、その真理を皆の幸福のために活用したいという善意と源を共有していると、私は信じているからである。



<主な現在の公的活動>
新エネルギー・産業技術総合開発機構「バイオテクノロジー技術審議会」委員
農水省「イネ・ゲノム計画第2期」評価委員
農水省「21世紀グリーンフロンティア研究」評価委員
医薬品機構「ミレニアムプロジェクト」審査委員
神奈川県バイオテクノロジー産業委員会委員
富山県バイオテクノロジー推進懇談会委員など
慶応大学客員教授

<過去の主な公的活動>
 バイオ産業人会議バイオ産業技術戦略委員
 奈良先端科学技術大学院大学客員教授(平成6年12月-11年3月)
 科学技術庁資源調査会専門委員(平成2年-4年)
 厚生省「創薬ビジョン検討委員会」委員(97年まで)
 科学技術会議ライフサイエンス部会
 ライフサイエンス基本計画分科会委員(97年まで)
 千葉県バイオテクノロジーに関わる環境保全対策専門委員会

主な著作・翻訳:
日経バイオ年鑑、日経バイオテクノロジー最新用語辞典、世界のバイオ2000社、バイオテクノロジー産業化と国際分析(翻訳、米国議会技術評価局編、日本経済新聞)、応用分子遺伝学(講談社サイエンティフィック)、バイオ革命(PHP)、バイオテクノロジーの夢と現実(アイペック)、「バイオテクノロジーの農業哲学」農林漁村文化協会)、「狂牛病のすべて」(日経BP社)など多数、また、96年からインターネット上で、バイオテクノロジーの総合情報サイト、Biotechnology Japan(http://biotech.nikkeibp.co.jp/)を開設、Webmasterを努めている。

<経歴>             
昭和29年5月東京にて出生
昭和48年3月東京教育大学付属駒場高校卒業
4月東京大学理科?類入学
昭和52年3月東京大学理学部植物学教室卒業
4月東京大学理学系大学院修士課程入学
昭和54年3月東京大学理学系大学院植物学修士課程修了
4月日本経済新聞社入社
昭和56年10月日経メディカル編集部を経て日経バイオテク創刊に携わる
昭和60年10月日経バイオテク編集長に就任
平成 8年1月インターネットでBiotechnology Japan創刊とDoctor's Net創刊
平成8年3月医療局ニューズレター取材センター長兼マルチメディア局インターネット事業推進室編集部部長
平成8年11月医療局ニュースセンター長
平成9年1月BTJ/HEADLINENEWS創刊(E-MAIL NEWS)
平成9年3月インターネット局編集部部長兼務(11年3月まで)
平成10年5月医療向けニュースサイトMed Japan創刊
平成12月3月バイオセンター長