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2002年度 第42回「夏の学校」シンポジウム
「利益か?真理か?〜科学が追究するもの〜」

科学には純粋に知的好奇心を満たす真理追求の側面と、得られた知識を社会を豊かに するために用いる利益追求の側面があると思います。
現在の科学研究はどれも巨大化しどの分野でも多くの予算を必要とするものになり、 国家や企業の経済的援助なしには成り立たないものになっています。研究を支えるの が国家や企業の出資である以上研究により利益を生み、還元しなくてはなりません。

しかし、ここで問題となるのは、利益を生む「有益な研究」と「無益な研究」を分け るものはいったい何なのか、ということです。

先に述べた科学の2つの側面のうち、「利益追求の側面」はその目指すものがはっき りしており素人目にもそれが実際に役に立つものであることがよくわかりますが、「 真理追求の側面」はその研究に携わる人にしかその価値や意義がよくわからないこと もままあります。
しかし、それらを意味のないものとしてしまうのも問題です。数学における数論や、 アインシュタインの相対性理論なども、現在では暗号化技術や原子力発電などの分野 で多くの成果を挙げています。
このように、すぐには利益を生まない知識の集積が後の世に思わぬ結果をもたらすこ ともあります。
では、「有益」と「無益」の線引きをどうするか、われわれは何を指針に研究を行っ ていけばよいのでしょうか?  2002年度の夏の学校 シンポジウムは3人の先生をお呼びして、以上のテーマについて 議論していきます。

講師

「科学研究の目標」
三浦謹一郎 先生(株式会社プロテイオス研究所)

「人材育成と国家戦略」
綱澤進 先生(前バイオカレッジ京都校長)

「科学の真理追究の側面と利益追求の側面」
百瀬春生 先生(東京理科大学 基礎工学部 生物工学科)



担当
谷本 岳志(信州大学大学院工学系研究科生物機能工学専攻)


「科学研究の目標」

三浦 謹一郎(プロテイオス研究所)

 科学が追求するものは真理であると思います。しかし、動機は人さまざまではないでしょうか?多くの人は心理を追及することが面白いから自然現象や、天然物あるいは人工物を相手に科学研究の分野に入って来るのでしょう。しかし、興味だけでなくて金儲けをしようと思って科学研究の分野に入ってくる人も結構いるのかもしれません。その場合でも科学研究することにかなり興味を持っていると思います。初めそんなに金儲けを意識していなくても科学研究を始めてから金儲けをしようと強く思うようになって、うんと儲かりそうな仕事に集中するようになる人もいるようです。
 どういう立場であっても科学の研究は目標どおりに進むとは限りません。思わぬ障害が出てきたり、思いがけないものを目付けたり、思わぬ方向に進んだりということも多いように思います。大きな発見、大きな進歩はむしろそういったときにあるように思えます。
 そのような思わぬことがわかって、それで金儲けをしてみようかと一念発起する場合もあるでしょう。あるいは長い人生でどうしても金を稼がなくてはならない立場になって、科学を金儲けに結びつける場合もあるでしょう。あるいは金儲けなんかしなくても真理を求めてひたすら歩く人も多いでしょう。私はそういういろいろな場合があってもよいのだと思います。
 今回は科学研究の転機がどのように現れるのかを考察してみたいと思います。また、金儲けのための科学は日本においてはアメリカの場合と大分様子が違うということをお話したいと思います。

「人材育成と国家戦略」

綱澤進 先生(前バイオカレッジ京都校長)

 我が国が21世紀に科学技術立国として立ち行くべき強化重点項目として バイオ、IT, 環境, ナノテクが挙げられている。政府は、これらの研究あるいは実用化に対して大幅な予算増と税制軽減の措置を講じ、何とか技術的に世界の最先端に位置しようとの意気込みである。また、これと少し次元は異なるが、 国立研究機関、国立大学の独立法人化を進行させている。危機感を持ち、現状を打壊する一つの試みとして是認される施策ではあろう。しかし、技術進化の歴史を見れば、果たしてこれだけの施策で将来、技術立国として立ち行くことが出来るのであろうか甚だ疑問を感じざるを得ない。科学史というほど過去を眺めなくとも、最近の科学技術の骨格となるブレークスルーとも言うべき技術は、こうした目的的方策からは、ほとんど出ていないことがわかる。此処に「人材育成」の重要性がある。どのような発見や発明もそれが社会的に役立たねば無意味であるという意見がある。上記の政府の施策はこのような背景を基に策定されていることは歴然としている。しかし、「人材育成」の観点から見れば、 このような施策からのみでは、次のステップを担うべき大きな技術は「生まれ得ない」。産学の連携や大学研究者の実学への認識強化、早急に対処すべき当面の国家的規模の課題の遂行などを決して否定するものではないが、「人材育成」が、国立教育機関の最大の責務であり、国家の大計であることを改めて考え、現状を見る必要がある。
「科学の真理追究の側面と利益追求の側面」

百瀬 春生 先生(東京理科大学 基礎工学部 生物工学科)

 私は、大学卒業以来長い間民間企業の研究所で仕事をしてきました。そして、企業の研究所で働くなか、少々数奇な運命で大学の研究所に出向して基礎研究をしたり、アメリカやカナダの大学でアカデミックな研究や教育に携わったりしてきました。
 ごく平均的な理系大学卒業生のたどる人生が、大学や公共機関でアカデミックな研究に生涯を捧げるか、民間企業などに就職して科学の応用を志向した仕事に生涯携わるかのどちらかとすれば、私の場合は、そのどちらも半分くらいずつ取り込んだ人生を歩んだという、やや異端の人間だといえるでしょう。最後にはとうとう会社を退職して大学のアカデミックな環境に身を置くことになったのですから、イソップ物語に出てくるコウモリのような、悪く言えばどっちつかずの中途半端な人間、よく言えば両方の世界を楽しめた幸運な人間というところでしょうか。
 さて、これら二つの世界を体験した私にはっきり言えることは、科学の「真理追究の側面」と「利益追求の側面」というのは、実は科学という一枚の紙の表と裏という関係ではなく、メビウスの帯とか四次元立方体のクラインの壺のように、区別することのできない一体となった「面」のような ものだと言うことです。ですから、ここからは「基礎的(無益?)な研究」でここからは「応用的(有益?)な研究」だというような線引きなど不可能ということです。
 これは、一件奇妙に聞こえるかもしれません。たとえば、宇宙の真理を探究する天文学の研究と、消費者に馬鹿売れするカップラーメンの作り方を研究するのとは、まるで違うではないかと。しかし私は、「表」から見ると確かにそう思えるが、「裏」にまわって本質を覗くとけっこう同じことだといいたいのです。そして違うとすれば、それはそれぞれに携わっている個人個人がどういう価値観を持って、そのときその場で仕事をしているかということだけだと思います。そして、広い価値観を持っている人は、いつでも必要とあれば宇宙とカップラーメンとをシャトルベクターのように行き来できるのだと考えます。
 私のわずかな人生経験の中からそのように考えられる実例をお話ししながら、これから社会で大活躍されるみなさん方に、少しでも参考になることが伝えられれば幸いです。

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