「脳の世紀の過去・現在・そして未来」

        理化学研究所 伊藤正男

脳科学は長い積み上げの時期をへて、今、21世紀を目指して大きな発展の機運にある。脳科学は生命科学の一環であると同時に情報科学においても重要な位置を占め、さらに、人文社会科学とも大きな接点を持つユニークな研究分野として大きく育ってきた。20世紀前半には脳のマクロの構造とその機能局在が明らかにされ、神経細胞の脳の機能素子であることが確立したが、20世紀後半に至り、神経細胞を扱う多彩な技術の発達に支えられて、神経細胞におけるシナプス伝達、シグナル伝達、発生、発達などの過程が詳しく解明され、それらの背後にある遺伝子制御の過程にまで理解が及ぶようになった。一方では、神経回路網、神経制御システムの理論が進歩し、あるいは人の脳の活動を可視化する装置の発明により、脳が複雑なシステムとして働く仕組みを解明する道が開けてきた。

21世紀にむけて脳科学の展望は次の3方向に広がっている。

1)神経細胞のシグナル伝達とその遺伝子制御の解明をさらに進め、その成果にもとづいて、長い間人類を苦しめてきた多くの脳神経疾患、精神疾患、脳の老化などに対して、遺伝子治療、移植再生などの細胞治療を含めて有効な予防・治療法を実現する方向。この方向はゲノム研究や発生分化の研究とも密接に関係する。

2)脳の情報処理の仕組みについての新しい知見をもとに、パタン認識能力にすぐれ、言語思考、言語コムニケーション、抽象的な思考、情報価値にの判断力を持つ脳型コンピュータを創出し、それを搭載した人型ロボットを創りだす方向。この方向は認知、言語、抽象、感情などの脳の仕組みを解明する実験的な研究と密接に協力して進歩するだろう。また、複雑系やカオスの理論との関係も深まるだろう。

3)脳の認知、言語、記憶学習などの機能の仕組みの解明と、それにもとづいて脳と心の関係を理解する方向。最後に残るのは、意識、理解、クオーリア、意志などの主観的体験に属する心の働きで、これをどのようにして科学研究の対象にできるかどうかも現在明らかではない。これは自然科学の最後に立ちはだかる難問である