2000年
12月| 集中連載 博士号(その1)
今回から数回に渡り、本欄では「博士号」をテーマにした文章を掲載する。
●なぜ博士号が問題か?
研究者の卵である大学院生の最大の関心事は、博士の学位の取得である。先輩や先生にしかられ、うまくいかない実験に悩み、徹夜で研究するのも、ひとえに博士号を取得して、研究職に就くためだ。もちろん博士号はただの通過点にしか過ぎないし、博士号を目的に研究しているわけではないと言いたいところだが、それでも学位は研究に不可欠なわけで、「足の裏についたご飯粒」ではあるが、されど博士号である。
ところが、最近博士号をめぐる議論が騒々しい。博士号、このままでよいのだろうか、という意見が、大学や産業界などから上がりはじめている。博士号を題材にした本も出版され、反響を呼ぶなど、博士号や博士課程に対する見直しを迫るような意見が各所で沸き上がっている。
●博士号をめぐる諸問題
ここで、博士号にまつわる諸問題について整理してみたい。
1)院生だらけの大学院
大学院重点化で大学院生の数は増えた。しかし、大学の建物が突然増えるはずもなく、研究室は院生で満杯状態である。ネズミだって狭いところに閉じ込められればストレスがたまって攻撃的な状態になるし、指導が手薄になるのは否めない。他方東大、京大を中心とした一部の大学に院生が集中するため、院生の数が減少し、研究に大きなダメージを受けている大学も多いと聞く。
2)質の低い博士たち
「分数のできない大学生」、「生物を知らない医学生」、「物理を知らない工学部生」はここ数年の理科教育問題を表わす標語として耳に新しい。しかし、恐ろしいことに、「研究の出来ない大学院生」という声があがりはじめている。大学生の質が下がれば、大学院生の質が下がるのが当然といえば当然である。基礎知識すらないまま入ってくる学生をどうやって指導して一人前の研究者にすればよいのだろうかという大学教官からの声も上がっている。
世間の博士の質に対する批判の目は厳しい。企業は日本の博士号取得者を評価していない。視野が狭く、応用が利かず、基礎知識も欠如している博士を増やしても、審査のない無駄な公共事業に投資するのと同じだという声すらある。
3)職がない!
「ポストドクター一万人計画」のおかげで、ここ数年は博士を取得してもポスドクの口はあり、就職先は確保できた。しかしポスドクの先の職が全然ないのだ。これを「ポストポスドク問題」というらしい。
増えた分の博士号取得者はどこへ行けばよいのだろう。わずかなポストに応募者多数という状態が続いている。「フリーター」になった博士の噂話も聞くようになった。こうした現状に嫌気がさし、大学院を辞めて医学部を受け直す者も多い。5年後、10年後、街に博士号を持ったホームレスがいるなんていうのは、夢のなかの話だけにして欲しい。
4)現状の不満、生活の不安
博士課程在籍者の不満も大きい。旧来通りの徒弟性が残る研究室、大学院生の数だけ増えた、明確な基準のない博士号取得条件、安い労働力として使われているような現状。今の博士課程は自立した研究者を生み出すのではなく、「優秀な」テクニシャンを生み出しているだけではないのか?
経済的な不安は大きい。全員が貰えるわけではない育英会の奨学金も、アカデミックポストに就かなければ借金となる。よって親の経済力のおかげで大学院に通う学生も多いが、経済状況が親の世代に子供を大学院にやる余裕を失わせたら、博士課程進学者が激減するかもしれない。そうなったら、日本の研究の将来はどうなるのだろう。
●いまこそ議論を!
こうした諸問題に対して、当の大学院や若手研究者の声はなかなか聞こえてこない。日々の研究が忙しいこともあろう。若手が声をあげることの難しさも理解できる。しかし、問題が存在していないわけではない。多くの若手が意見を持っている。表明できる場がないだけなのだ。
今回、新たな試みとして「博士号」を主題とした集中討論シリーズを行うことにしたのは、議論の種・場を提供しようと思ったからである。次回から、様々な立場の若手研究者に依頼して、「博士号について思うこと」を書いてもらおうと思っている。
それに対する読者の方々のご意見を歓迎する。賛成、反対、異論反論などをE-mail(cuvette@seikawakate.forum.ne.jp)でぜひお寄せ頂きたい。いただいた意見は紙上で紹介していきたいと思う。
今回の新たな試みが、博士号にまつわる諸問題に一石を投じ、問題のよりよい方向での改善に寄与できたらと思っている。
生化学若い研究者の会PNEキュベット委員会