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2001年

1月| 集中連載 博士号(その2)Ph.D.の素質と訓練

“博士号”に関する連載第2回目は、博士号を目指して船出したばかりの修士の学生の方にお願いいたしました。ご意見、ご感想はcuvette@seikawakate.forum.ne.jpまでお送りください。(キュベット委員会)

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 修士課程の1年生にとって博士号(Ph.D.)取得というのは切実な問題ではあるけれども、ある意味、遠い先の話である。私にとてもPh.D.という資格は少し前まではピンとこない代物であった。むしろその過程の大学院や研究室のほうが実感のわく身近なものだった。

 大学に入るときとは違って、大学院は自分自身で“えいやっ!”と決断しなければならない事柄がたくさんあるような気がする。私の場合は卒研のラボを出て別の院を受けるという選択をしたので、なおさらそうであった。多くの知り合いが卒研のラボにそのまま残るという選択をするなかで、研究分野を変えたいという思いと、ずっと同じラボに居続けることがはたしていいのか、という疑問とが最初のきっかけになった。現在の院は入学時に所属研究室を決めずに夏までは講義・実習や研究室ローテーションがあるところなので、少し変わった選択をしたことになる。今のラボにくるまでにはさまざまな紆余曲折があったが、運が良かったこともあり、自分の納得いく選択が出来たと思っている。

 こうして半年少々を大学院生として過ごしてきたのであるが、院試を受けるときは考えもしなかったようなことにも、いざ大学院に入ってみて直面するようになった。博士課程にまで進むと決めて入学してきた以上、Ph.D.を取るとはどういうことかというのもそのなかのひとつであった。そして最近、Ph.D.とは“幅広い知識と経験をもち、独立して研究を立案・遂行することができる能力を、訓練によって身につけたことの証”ではないかと自分を納得させることができるようになってきた。そのための訓練は生半可なものではないし、そのために何年もかけて研究することになる。

 そんななか“大学院生はどうして研究がしたいんだろうか?”という疑問が頭をかすめることがある。当の院生の一人がいうのもおかしな気がするが、激しい競争に疲れきった人や、仙人のようにその流れに身をひいている人を見かけることが決して少なくない気がする。

 もちろん大学院生が暇をもてあましていていいはずはないのだが、ときには余計なお世話とは思いつつもその人の健康状態を心配してしまうことさえある。もちろん楽して生き残っていける世界でもなし、みんなそれぞれの覚悟はあるのだろう。家には寝に帰るだけ、という暮らしは珍しくもない世界だと知っていてきているのだから。しかし、もともと研究に、そして科学に憧れたときのそれは、もっと楽しくてわくわくするような冒険心に満ちあふれたものだったのではないのだろうか。宇宙の果てを想像してみたり、生き物のもつ不思議さ・精巧さに感動したりし、そして誰も見たことのない地平を見ることに憧れた日々。そんな“初心”を顧みる心の余裕を失いつつあるのかもしれない。

 かくいく私も自分がおもしろいと思える研究を目指して、いまだ道半ばという段階である。「研究者になりたいんです、どういう勉強をすればいいですか」と聞いてくる無邪気な学部生・高校生たちの目を見るとドキッとしてしまう。ハードワークが院生のステータス、という風潮すらあるこの時代、本当に独創的な研究が行われているのだろうか?
 研究者が皆、独創的であるのがむずかしいとしても、自分の研究テーマを本当に心からおもしろい、やりがいのあるものと感じているのだろうか?
 そう思いながらふと思いついた。ひょっとしたらPh.D.とは“自らの行なう研究におもしろさ、やりがいを見出せる、あるいはそういうテーマを自ら見つけてくることができる素質をもっていることの証”でもあるのではないかと。

後藤純一(東京大学医科学研究所脳神経発生・分化分野)


2月| 集中連載 博士号(その3)大学院生の将来と大学院改革案

  今回は博士号を取得されたばかりの方に書いていただきました。ご意見、ご感想はcuvette@seikawakate.forum.ne.jpまでお送りください(生化若手PNEキュベット委員会)。

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 近年、特に旧帝大系の国立大学において、「大学院重点化」がすすみ、大学院生の数が激増しています。このことは、「科学技術創造立国」を目指す政府サイドの強い意向のためであろうと思われます。科学技術や社会システムが高度化・専門化される に従い、「大学学部」だけの教育では、社会のニーズに合うだけの知識や技術を習得 させることが不十分になってきたので、少なくとも表向きには、「もっと多くの人間 に大学院で高度な専門教育をしなさい」とばかりに「大学院重点化」されてきたのだろうと思います。

 しかしながら、実際は、定員増にともなって大学院入学が易しくなっただけで、教 官や設備が定員増ほどに増強されたという話はほとんど聞きません。また学生は就職 難も手伝って、明確な目標を持たず漫然と「院に進学」してしまう傾向がないとはいえず、大学教官からも「学生の質が低下した」「多くの学生の面倒をみきれない」と いう声ばかり聞こえてきます。
 しかも、この「大量生産」された大学院生(特に博士号取得者)が、これまでは卒業後に主に就いてきたいわゆる「アカデミック」のポジションの方は、今後増えるどころか、少子化やら独立行政法人化などによりいっそう厳しい見通しであることは間違いありません。
 もちろん、「アカデミック」以外にも、高度な専門知識や研究能力を持つ者として、大学院修了者が社会から求められる機会はこれからすこしずつ増えていくと考えられます。しかし、その場合も、「いかに役立つか、即戦力となりうるか」が厳しく問われるに相違なく、時流を的確にとらえ、それなりの「売り」がないと就職口があるわけではないのです。そのためにも、大学院生は、大学院のうちに身につけおくべきこと、学んでおくべきことについてよく考え、さらには研究業績や学位について明確で具体的な目標を持って大学院生時代を過ごしておくべきです。要するに「自立した大学院生」にならないと将来食えない、ということです。

 しかし一方でニッポンの「大学院教育」のシステム自身も、そのような自立したい大学院生を育成・支援するシステムになっているかというと、これもほど遠いといわざるをえません。元来、日本の大学院のシステムとは、「研究室の後継者」育成のシステムであって、「社会が要請する人材」の育成のためのシステムではなかったのです。にもかかわらず「大学院重点化」してしまったために、大きな矛盾を抱えるのは当たり前といえます。
 したがって、今後は、大学院それぞれの課程での教育目標を明確にさだめ、学生(国民)にとって真に必要な大学・大学院のシステムを作ることが急務と考えます。この目的に合致するような「大学院」のシステムを、私なりに提案してみます。

(1) 大学院修士課程は実践的な専門的知識と技術の習得を目的とし、年限は3年とする。入学試験は各大学院・研究科ごとに独自に行う。ただし、どういう教育を施すのか、研究費・設備はどのくらいか、卒業生はどういう進路を取ったか、という情報をインターネットなどで広く公開し、学生が大学院をその目的、修めたい専門に照らし合わせて自由に選択できるようにしておく。また、トラブル解決のための機関を設ける。

(2) 大学院博士課程は、高度な学問研究や技術あるいは思想をリードし発展を担う人材の育成を目的とし、設置する大学院あるいは研究機関を限定する。ここでは研究費などの配分などを優先すると同時に、より競争的な環境にする。博士課程の学生を教える教官は、少なくとも大学学部とは別にして高給・任期制にし、研究・教育の成果を厳しく問う。さらに博士課程の学生は経済的に十分自立できるようにする。 また論文博士制度についても見直す。

 ボーダーレス時代の昨今、「大学院」を、より開かれた実用的なものに改革していかないと、日本におけるアカデミズムの存在感はいよいよ薄まると危惧せずにはおれません。学生・教官双方とも、緊張感あふれる魅力的な「大学院」の構築に努力すべきと私は考えます。

奥田智彦 (国立研究所ポスドク)


3月| 集中連載 博士号(その4)

 今回は、キュベット初の試みとして、イギリス人研究者の方に執筆して頂きました。学位の意味、重みをこの文章から感じて頂けると幸いです。ご意見、ご感想はcuvette@seikawakate.forum.ne.jpまで(生化若手キュベット委員会)。

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For many young researchers, gaining a PhD signifies a level of achievement within science, opening up the opportunity for independent research. I still feel this way having completed the process. I had been employed as a technician in a cancer institute for 3 years and was bored with the routine nature of my work. I was happy to perform my daily experiments, but it seemed that whenever the results became interesting the project was transferred to a post doc or student. After discussions with my professor, he suggested that I enroll as a part time PhD student with a full salary (approximately the same as a first post doc salary).

The change in my working life was subtle but significant. Even though I had worked with relative freedom for a number of years, I now had to take complete responsibility for the organization and direction of my project. Since the course contained no formal lectures, it was my responsibility to read papers, attend relevant seminars and learn new techniques. With minimal supervision from my professor, the transition from presenting my results, to presenting, interpreting and planning future experiments was at first difficult. The process was made easier by formal and informal discussions with colleagues. This was relatively easy since I already knew many people from different disciplines within my institute. I asked many questions, a few inspired, some relevant and many (too many!) silly. I am greatly indebted to my old friends, fellow technicians, post doctoral workers and other PhD students, many of whom reshaped my thinking processes at crucial stages of my work. During that time many of us lived for science.

Initially, I managed to balance the experiments for my thesis with my general laboratory projects and duties. In later stages, this became more difficult. The laboratory theme diverged from mine and I frequently felt as though I was doing 2 jobs. My professor kindly ignored small lapses, mainly because I produced 2 first author publications. The high point of the course, was my first international presentation to a room full of scientists at the cutting edge of my field. I can not begin to describe the heady mixture of fear and excitement as I thought ‘I am going to tell them about my work’!

I realise that my experience as a PhD student is atypical but if I can humbly offer advice to young scientists, it would be to discuss all aspects of your research as much as possible. It is important to be aware of the diverse nature of other people’s thoughts since scientific problems are often solved by changing perspective. It is also the responsibility of Laboratory heads to provide an environment where information flows freely and young researchers are encouraged to develop their scientific potential in a creative way. History has shown us that flashes of inspiration often come from unusual sources and at strange times!

Joanne Meerabux (Laboratory for Molecular Psychiatry, BSI, RIKEN)
E-mail: j_meerabux@brain.riken.go.jp


4月| 集中連載 博士号(その5)博士号を価値ある資格とするために

先号まで博士号をテーマに3人の方にご意見を頂いたが、いかがだっただろうか?今回は総括として、三人のご意見をふまえて書いてみたい。

     * * *

 修士の学生にとって、博士号は期待と不安の入り交じった夢や希望であり、かつ具体的な目標だった。第2回は、同世代にとっては同感できるものだっただろうし、それ以上の方々にとっては若くて熱かった日々を懐かしく思い返させるものだったことと思う。しかし、そんな夢や希望も厳しい現実のなかで次第に変化していく。一人また一人と別の道に進路を変え、博士号取得までたどり着くときには、多くの仲間が既にいなくなっている。

 だが、それでも博士号取得はスタートでしかない。本当の競争相手は、同世代やこの国の研究者のみならず、海の内外、洋の東西を問わず世界中の研究者となる。私たちは研究の荒海に出たときにはじめて、博士課程ではいけすの中で波から保護されてのうのうと過ごしていたことがわかる。第3回目での博士号改革の具体的な提案は、魚たちにいけすの外でも生きていけるように鍛錬しろと呼びかけつつ、いけすの持ち主(政府?)には、もっと厳しく魚を鍛えよと迫っている。魚にとっても持ち主にとっても、ちょっと耳の痛い話だったかも知れない。しかし、弱い魚を荒海に投げ出すことこそ本当は残酷なことだということは理解しなければならない。

 第4回ではイギリス人の研究者の研究人生から、科学の母国イギリスの研究者教育の一端を垣間みることができたが、多くの読者はイギリスが意外にもそれほど日本と変わらない博士教育環境にあるのではないかと思われたのではないだろうか?PhDの学生に給料が出るということ以外は、制度の大差はない。指導者と学生の研究、教育への取り組む姿勢こそが、母国とわが国の違いである。イギリスでは、研究者の自立を促すことを主眼において学生がトレーニングされているが、我が国では学生はテクニシャンとして、労働力として扱われてはいないのか。そういったことを考えさせる原稿だった。

これらの意見をふまえ、日本の博士号が意味ある学位となるために、以下の点を指摘して、この集中連載のまとめとしたい。

●博士課程を自立した研究者教育の場とするために
 日本の博士の評価が低いのは、博士号が自立した研究者を表す学位となっていないからではないか? 業績中心主義、研究支援者(テクニシャン等)の不足が続く限り、大学の研究室が博士課程の学生を即戦力、労働力とみなす傾向は続くだろう。科学政策に携わる方には、博士課程を研究トレーニングの場にするべく、研究支援者の増員等を含めた包括的な改善策を実行に移していただきたい。大学を競争的環境にすることに異論はないが、大学の独立行政法人化が、学生をカネのかからない労働力として使い捨てることにつながることだけは阻止してほしい。
 また、博士課程の学生の経済的自立支援の拡充を求める。親の支援を前提にした博士課程の存在が、学生の精神的自立の機会を奪っているという指摘がある。国の経済状況を考えると難しい問題だと言わざるを得ないが、経済的な問題が優秀な学生を研究から遠ざけている現状を考えれば、碩学の方々には何が重要かがおのずとわかるはずである。

●学生の意識改革を
 確かに今の日本の博士課程に制度的な問題は多い。しかし、すぐでも変えられる部分が多いのではないだろうか? 漫然と博士課程を過ごすか、自立を意識しつつ過ごすかで、将来は大きく異なる。主体的に行動してはじめて、博士号は意味を持つ。環境を言い訳にすることなく、強く生き抜いていこう。

 研究をはじめたばかりの頃の夢や希望をしぼませないために、博士号が世界に誇れる資格となることを願ってこの連載を終えたい。
 ご意見、ご感想は cuvette@seikawakate.forum.ne.jp までお送りください。

生化学若い研究者の会キュベット委員会


5月| 博士号取得後どうしてる?(1) 博士学生の職探し

 前回までのテーマ「博士号」に引き続き、今回から数回に渡り本欄では「博士号の取得後」をテーマにした文章を掲載する。最近、新たに問題となってきた「ポストポスドク問題」を含め、本欄では博士号取得後どうしてるか?についての議論を喚起できるような文章を掲載していく予定である。連載第1回目として、現在ポスドクになられたばかりの方に進路が決まるまでのよもやま話をお願いいたしました。

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 前回までの博士号シリーズにおいて、「学生は、いけすの中で研究の荒波から保護されている」とあったがまさにそのとおりであり、就職活動は、このいけすの中から本当の研究の世界に踏み出すための第一歩である、と同時に現実の厳しさを教えられる機会でもある。私の場合、かなりの幸運もありなんとか研究者としての一歩を踏み出すことが出来たのでその経験を書きたい。

 私は、比較的早く、大学院に進学とほぼ同時に将来は研究者として飯を食っていこうと決めていたので、就職活動は、ポスドクに絞って進めることにした。私のまわりにも、博士号取得後すぐに助手の職に就くものもいたが、私はなぜかこの博士号取得後すぐに助手になるという選択肢にあまり魅力を感じなかった。理由はいろいろあるが、研究に割ける時間に関してポスドクの方が魅力的に感じたからである。見ていて感じるに、今の助手は研究以外の雑用も多く、研究に割ける時間は以外と少ない・・・。と書き始めると話が別の方向へ行ってしまうので、このことについてはこれ以上コメントしない(いずれこの助手問題や助手の任期制の問題についてはこの欄でも議論されることであろう)。

 そんな私は、ポスドク先の一つの選択肢として海外の研究室を考えていた。行き先の選択の仕方は人それぞれであろうが、私は、自分がこれまでやってきた仕事と似たような仕事を違うシステムを使ってやっていること、若手の研究者で最近、ラボを構えてこれからさらにバリバリ仕事をやろうとしている研究室を基準に選んだ。そして、「雇って下さい」と手紙を書くことになる訳だが、この際、感じたことは第一著者での論文があれば非常に話がスムーズに進むということである。相手側にとってもどこの誰かもよくわからない者がいきなりポスドクに雇ってくれとくるよりは、あの論文を書いたあの人かとなった方が話が通じるのである。特に海外で研究室を探そうという場合、当然のことながら、面識がないことが多いので、これは重要なポイントである。私もこのときにはすでに論文があったので、しばらくすると、「あの論文はすばらしかった(まあ、これはかなりの社交辞令を含んでいるが)、日本でお金が取れたら来てもいいよ」と快い返事が返ってきた。

 しかし、現実は厳しい。お金が当たらなかったのである。「当たらなかった」と言っても、もちろんくじ引きじゃないんだから申請書を書いてそれが審査されている訳であり、自分の実力がなかっただけである。ここで、とりあえず海外への道は終えたかに思えた。でも、私は運が良かった。昨年の秋、国際シンポジウムで来日したボスと会う機会ができた。そしてなんと、「こちらでお金が準備できるから良かったら来ないか」と誘ってくれたのである。それまでは、お金が準備できないのであきらめかけていたし、その後、恩師の推薦で国内の別のポスドクが決まりかけていたのでかなり悩みもしたが、海外での研究を肌で感じるいい機会だと思い、海外で研究者としての第一歩目を踏み出す道を選んだ。

 こうして、何とか研究者としての第一歩を踏み出すことになった私が、就職活動を通じて思ったことは、いかに、学生時代に実力をつけておくかである。実力があればあるほどいけすの外の海は大きく広がっている。

藤井 誠 (DukeUniversityMedicalCenter)


6月| 博士号取得後どうしてる?(2) ポスドクと学生の違いとは?

  研究者としての一歩はまず博士号を取ることで、ポスドクになってから一人前の研究ができるといわれます。ではポスドクになることによって具体的に何がどう変わるものなのでしょうか? 私は大学院を出てすぐにアメリカにポスドクとしてやって来たのですが、その経験をふまえて、学生時代とポスドクになってからとの違いについて述べたいと思います。

 まず研究環境はかなり良くなりました。実験卓などは全員に広いスペースを与えられ、その場所だけでほとんどの実験をこなすことができます。異なる種類の実験を同時に行なうことができるので、本人のやる気次第ではグッと効率が上がります。また雑用が減りました。洗い物などは技官がやってくれます。実験自体を手伝ってくれることもあります。ただ、私の場合は人を使って実験するということに慣れていないので結局自分でやってしまうことが多いのですが、今後のことを考えると上手に人を使えるようにしておくというのはとても大事なことでしょう。というわけで、研究室にいる時間は学生時代よりもむしろ減りましたが、実質的な労働時間と仕事の能率はずっと増していると思います。

 研究の進め方という点ではどうでしょうか?一般的には学生は上の人について実験して、指導教官と頻繁にディスカッションするなどの研究指導があり、ポスドクはもっと自主的に研究するものだという認識があると思います。しかし、これはそれぞれの研究室によって状況が異なります。学生にも好き勝手にやらせているような研究室もありますし、逆にポスドクになっても実験のかなり細かいところまでチェックされることもあるようです。とくにアメリカでは、新人ポスドクはある程度のデータを出して信頼を得るまでは、ボスから実験内容を細かくチェックされることが多いようです。したがって、研究の進め方では学生とポスドクの差よりも、研究室間の差の方が大きいといえるでしょう。

 私の場合は実はポスドクになっても本質的な部分は何も変わっていないような気がしています。学生時代、とくに博士課程では自律的に研究を進めていたし、ポスドク先もボスが全て取り仕切っているようなところは避けて、自由に研究できるところを選びました。私の研究の理想は一人でできる程度の小規模の研究から普遍性のある結論を導き出していくというものなので、いまの状況で全然問題はないのですが、どのような研究室を選択するかについては、各人の望む研究のスタイルによるところが大きいでしょう。

 最後に学生とポスドクの大きな違いの一つに給料があります。お金をもらって研究をしているということは研究のプロなわけですが、実際はポスドクだからと言ってとくに気合いが入っているようには見えません。気合いが入っている人は学生・ポスドクにかかわらず気合いが入っているものです。ですから学生時代は無償奉仕だったのが、基本的に同じようなことをしているにもかかわらず、ポスドクになると給料をもらえるというのは妙な気もします。もちろんそうでないと生活できないわけですが。学生は教育を受けている身分だから…、とは言っても実際の研究の現場では研究の指導はあっても系統だった教育というのはなかなか難しいものです。それにポスドクになっても常に新しい技術を学んでいく必要はあるし、上述のようにボスにコントロールされていることもあるわけです。このようなわけで、私は博士課程の学生とポスドクの間には本質的には大きな違いはないと思っています。

 結局、学生のうちから何が面白いのか?どんな実験が必要なのか?をよく考え、必要な技術は自分からどんどん取り入れて研究を進めていくことが一番大切な訓練なのではないではないかと思います。そうしていればきっとポスドクになっても、そして海外に出ていっても十分通用する研究者になれることでしょう!

佐藤純(UniversityofCalifornia,SanFrancisco)
筆者のホームページにて留学先の情報などが得られます。(http://www.jah.ne.jp/~satouma/)


7月| 博士号取得後どうしてる?(3) 大学教員という選択

今回は「博士号取得後どうしてる?」の3回目です。原稿の依頼を受けてはみたものの「これって自分が原稿を書いちゃってもいいのかな?」と一瞬戸惑いました。というのも、私は博士課程を昨年の夏に中退し、助手の職に就いたため、現段階ではまだ博士号を取得していないからです。そのような理由から、本テーマの趣旨からは多少ずれるかもしれませんが、ここでは「博士号を取ってから」ではなく「教員になってから」自分の生活の中で変わったこと、思ったことなどを中心につづっていきたいと思います。

 「雑用が多くて大変だろうね」と人によく言われます。しかしながら、ラボ内の仕事は、学位取得前ということを配慮していただき、今のところはかなり軽減されています。また、助手1年目ということもあり、大きな仕事が入ってくることもほとんどありません。だから現段階では、雑用による負担を感じることはありません。

 一番変わったことと言えば“教育”、つまり実験指導に対する責任でしょう。院生の頃にも後輩に実験を教えることはありましたが、多くの場合は実験手法を教えることにほぼ限られていました。当然ながら、自分にも実験があるので、それを差し置いて教えるのは物理的に不可能だったからです。しかし、助手の場合は“教育”が仕事の一つである訳です。学生とディスカッションしつつ、自分の実験と同様のスタンスで学生の実験の進行状況に気を配るように努めています。時間は限られているので、実験の指導に時間を使えば、そのぶん自分の実験に当てる時間が減ってしまいます。正直なところ、自分の学位もありますし、けっこう大変です。忙しいときなどはいらいらすることもあります。

 しかしながら、こうした経験の積み重ねが、結局は自分自身の実験の進め方やデータの見方、時間の使い方等々、さまざまなところで役に立つことになるでしょう。何より「ああでもない、こうでもない」といろいろやり繰りした上で結果が出たときは“共同研究者”としてうれしいですしね。・・・などと書くと偉そうですが、実際は助手になりたての私では至らない点があまりにも多く、周りのフォローがあってどうにかこうにかやってている、というのが実情に近いでしょう。

 大学の教員として、学生にどこまで指導すべきか、ということについても迷うところです。たとえばふだんの生活態度とか。あれこれ厳しく口を出していくのがいいものか、しかしながら、人に指図されて実験をしても楽しくもないですし、自主性に任せることも必要ですよね。結局は双方のバランスなのでしょう。その辺のバランスをどうとるか、今の自分にとってはけっこう難しい問題なのです。

 研究の話に戻りますが、当面の課題としては、今後、腰を据えてやっていけるようなテーマを確立することです。今のテーマを発展させるか、もしくは新しいテーマを考えるか・・・。しかしながら、新しいテーマなんてそんなに簡単に思いつくものではない訳でして。学会、文献等でいろいろな情報に接しながら、自分の興味をふまえつつ、じっくりと探していきたいですね。これまでは、とにかく目先のテーマで結果を出すことに捕らわれていたのですが、ここに来てようやく大局的なものの見方をするようになってきたかな、と思います。

 最後に一言。助手として一年ほど過ごした今、思うのは、学生時代に培った人間関係がいかに重要であるかということです。もちろん研究に対する姿勢、ものの見方を養うのも大切なことです。しかしながら、研究を勧めていく上で、人との関わりは不可欠でしょう。研究生活が長くなってくると、研究漬けの生活に偏ってしまい、人とのつき合いが希薄になりがちです。私も1つのことを始めるとそれだけになってしまいがちなことが多かったため、今になって反省しています。視野を広く持つことが大切です。そうすれば、きっと良い道が開けていくことでしょう。

小川哲弘 (東京大学大学院農学研究科)


8月| 博士号取得後どうしてる?(4) 総括 博士号取得と取得後

 先号まで3回にわたり、本欄で「博士号の取得後」をテーマにした文章を掲載してきた。今回、博士号を取ったばかりでこれからポスドクとして研究を開始される方、すでにポスドクとして自立されておられる方、そして博士過程の途中から助手になられた方、それぞれの視点から様々な意見を拝見することができた。今号ではこれまでの連載を踏まえて全体の総括を行う。

 「博士号」シリーズで議論されてきた博士号取得にまつわるさまざまな問題点のひとつに、博士号を取得したがその先は?というものがある。博士号は研究職に就くための通過点にすぎないが、博士号を取得したからといって、すぐに研究職につけるとは限らない。この背景には政府の大学院重点化構想により、多くの博士課程の学生が生み出され、続くポスドク一万人計画により博士号取得者は、その多くがポスドクへと就いているという実体がある。博士号を取得したその先にはいったい何が待ち受けているのだろうか?研究者の卵としての博士課程在学者から一人前の研究者として扱われるポスドクとの間の明確な違いは何なのだろうか?このような素朴な疑問を元に今回のシリーズを開始した。
 第1回目では、博士課程の卒業を控え、次の「職探し」を如何にして行ってきたか、そしてその際にはお金というものをどのようにして得るかということが一つの問題として提起された。井の中の蛙になりがちな現在の博士課程の学生にとって異なるラボに移ることは、ポスドクを選ぶ際だけでなく、学生の流動化という意味においても重要な事柄であるように思える。第2回目では、実際にポスドクを海外でされている方によるポスドク生活、そして学生生活についての感想をいただいた。ポスドクになっても給料がもらえるだけで、学生と変わらないという実感は日本のポスドク制度、学生への教育の在り方に一つの問いかけをしているように思う。そして第3回目では、博士課程の途中で助手への「就職」という選択をされた方がその後、仕事をされながら客観的に博士号をどのように捕らえているのか、指導をする立場に身を置いている側の意見を聞くことができた。

 連載第2回と第3回から学生と変わらないポスドク、そして学生とは明確に異なる視点を持つ助手というスタンスがあることがわかる。読者の皆さんの感想はいかがだろうか。また、ポスドクは研究生活の一つの通過点であると一般に言われるが、その後の見通しに関しては学生と同じく、もしくはそれ以上に難しいようだ。

 先の見えない生活であると言われる研究生活でも少なくとも博士号取得は大きな課題である。その先、どういった生活になるかは個々人の性質、またチャンスを物にできる才能にかかっているように思う。博士号取得者が増え、ポスドクも同様に増えている今、もっと幅広い将来の選択肢が必要であるだろうし、おそらく今後は、博士号をもった研究者以外の人が他分野に渡って活躍するようになるはずだろう。このような状況の中で現在、大学院生である人は自分自身をどこまでのばすことができるかにチャレンジしていく心構えが大切であろうし、現在、それらを指導する立場にいる人は逆に自分が経験した問題点を少しでも良い方向に変えていく努力が必要であろう。21世紀は生命科学の時代と言われる。今後、より多くの人が幸福になれるように今まで以上に関係している全ての人が問題意識を持って学生生活、そして研究生活を送っていくべきではないだろうか。

(キュベット委員会)


9月|  研究と結婚(1) 結婚相手は同業者?

はじめに 前シリーズでは、博士号取得ーポスドクの特集が組まれました。今回の特集は研究者がその過程、もしくはその直後に直面する結婚にスポットを当ててみました。結婚はそれまで研究一筋の人生を過ごしてきた研究者にとって、社会との接し方を再構築する上で一つの転換点だと思います。また、それにより研究スタイルにも大きな変化があらわれてくるでしょう。従って研究スタイルも再構成する必要性がありその部分においても転換点であると言えます。そこで今回、研究者、未婚研究者(男女)にお話をお聞きし、研究と結婚についてその多様性や現状の問題点に迫ってみようと思います。今日は理化学研で脳の研究をしている男性研究者にインタビューします。

インタビュア 今回のシリーズではそんな研究者の結婚に対する考え方を中心に取材していきたいと思います。よろしくお願いします。

男性研究者 よろしくお願いします。研究と結婚、面白そうですが、なかなか難しいテーマですよね。研究、結婚共に考え方は多種多様だと思いますが、私の理想とする結婚相手は、ズバリ同業者です。同じような研究分野で、家に帰ったら研究の話をしたりとか、ながい目で見た時に、研究だけでなく人生のパートナーになっているなんて形が理想です。人生のパートナーとしての女性像をイメージしています。

インタビュア 結婚相手も研究がプライオリティの上位に来る人が好いという事ですね。最初からかなり方向性のある御意見が聞けて嬉しいです(笑)。ただこの分野では比較的多い考え方ではないでしょうか。この場合、研究に対する文化が共有できるかどうかは重要です。例えば研究のアプローチの違いからしょっちゅう口論になったりしたら気が休まらないでしょう。

男性研究者 僕はむしろ異なる方を歓迎します。私は分子生物学を専攻しているので、その分野の視点が強みだと思いますが、相手の人は細胞生物学など、別の視点を持った方がいいですね。連係して包括的に研究テーマができるといいな。もちろん、性格的に相性があれば、もちろん上記の事にはこだわりません。自分の仕事に理解を示してくれるような人であれば誰でもかまいません。実際、研究者はそう収入的にも恵まれているわけではないので贅沢は言えないのかも。アメリカでポスドクとして働いたら年俸3万ドルですからね。

インタビュア 余談ですがアメリカの制度は面白いです。ドクターコースを出た後、ポスドクとして働くと確かに給料は高いとは思いませんが、バイオメディカルリサーチャーという企業研究員になると、年俸8万ドルが初任給の平均だそうです。ポスドクと2倍以上違うところがアメリカらしいのかもしれません。

男性研究者 ボストンでポスドクをしている先輩の話だとかなり生活費がかかるそうです。都市部では日本よりも生活費がかかるなんて事はざらにあるそうです。

インタビュア 話が脱線してしまいました。この話は別の機会で待たしましょう(笑)。ところでお話をお聞きしていると、結婚相手には研究を理解して下さる方が良いという事だと思うのですが、実際に研究をしている環境でそのような方と出会えるチャンスはありますか。

男性研究者 研究の世界はどちらかというと男性の方が多いです。だから女性とあまり出会いうチャンスがありません。そこに問題を感じています。だから近くの人、つまり同業者と結婚する事が多くなるのでしょう。またお見合いの話なんかも多いですね。実際には結婚した後も大変でしょう。実際よくあるパターンで、結婚前は一日の2/3を研究に費やしている人が、結婚すると朝早く研究所にきて夕方には帰るということがあります。現実は研究を全ての中心にしたくても、限られた時間内で結果を出せるようにしていく必要性があるのでしょう。

インタビュア 夫婦共に研究者の場合、ポストによって別居している場合が多いですね。別居という環境は問題になりませんか?
男性研究者 その部分に関しては個人的には避けたいです。ただポストも少なくなってきているのでそうは言ってられないのかも。実際に子供ができたりすれば、お風呂に入れないといけなかったり、家族の時間もとったりする必要もあるでしょうし。この部分は女性や先駆者の御意見も聞いてみたいです。

インタビュア そうですね、この部分を次回では少し掘り下げてみましょう。次回を御期待下さい。今日はありがとうございました。


10月| 研究と結婚(2) 結婚相手は同業者?その2

 はじめに 前号では研究と結婚をテーマに、とある独身の男性研究者の方にインタビューを行いました。意見をまとめてみると「同じ分野でテーマが異なる自立型女生とのパートナーシップの構築を重視する」と言えるでしょう。今回は、現在ポストドクターをしている独身の女性研究者の方に、同業者と結婚することについての意見を聞いてみました。

インタビュア 今回は縁あってインタビューにお付合いいただくことになりましたが、よろしくお願いいたします。前号はある意味、この業界では比較的多い男性研究者の意見だったと思います。あの記事を読んでどう思いましたか。

― こんにちは、よろしくお願いします。私の場合、研究を続けていくのを前提で結婚というものを捉えているわけではありませんが、同じ分野というより、同業者との結婚は避けたいと考えています。つまり逆の意見です。同世代で、男女の間の意見が正反対とは興味深いです。なぜそう思うのですか?明確に「これ」といった理由ではないのです。しかし女性研究者は圧倒的に同業者と結婚している事が多いので、その問題点が垣間見えるからだと思います。

インタビュア 一般論に対するアンチテーゼみたいなものも感じますが、それだけでは無さそうですね。もう少し詳しく聞かせて下さい。

― 具体的には、私より年上で、ある程度の仕事をやっている女性研究者の旦那さんの多くは、非常に有能な研究者である場合が多い気がするのです。以前YAHOOの掲示板で見たのですが、女性の研究者が成功するのは大きく分けて3パターンあるそうです。一つめのパターンは、旦那さんが非常に優秀な研究者でその奥さんの場合です。二つめは、ばりばり独身で研究をやっていく場合です。三つめは、頭の切れで勝負していく場合だそうです。その意見では、実際には圧倒的に一つめのパターンが多いそうです。そのあり方が良い悪いではなく、私自身それでは楽しくないなと感じました。

インタビュア なるほど、これまでその観点から見たことがなかったので新鮮な意見です。それは紹介や推薦で仕事が決まる事が多い業界と言われることが関係しているのかも知れません。

― 私はプロとして研究をやっていく上で、旦那さんと同じ研究をするのはやだなと考えています。それから論文の共著に同じ名字があったりするのも。何故かというと、女性の方がその研究のサポート役と思われる事が多いような気がするからです。またプライベートと仕事が一緒になっているのもリラックスできないと感じます。

インタビュア 研究者でないとすると、例えばどんな方が理想の結婚相手ですか?

― 純粋な恋愛をして結婚できれば、相手はどんな分野の方でもよいと思っています。デートも、学会とかではなく、お台場の花火とか(笑)。学生結婚が多いのは単にお互いが近くにいるからでしょう。私の場合も実際に周りに研究室内で付合っている人が多いです。ただ何かと問題があります。例えば彼女の卒論を彼が書いていたりしています。では彼女は何をやっているのか?彼の家で御飯をつくっていたりするのです。

インタビュア うわさでは聞いたことがありますが、そんな事が実際にあるんですね。しかし研究室内でつき合っていた場合、別れた時は大変でしょう?

― そうです。うまくいかなくなった時も問題です。実際には同じラボにいる場合は別れられなかったりする場合もあります。研究室内にもその雰囲気が蔓延するからです。研究以外の理由でぴりぴりしている研究室で、よい研究ができるとは思えません。第一世代の方々は研究第一主義でやってきたのだと思います。だからその文化の中で集団化していったのではないでしょうか。第二世代、第三世代の研究者は、もっと多様性があってもいいと思います。私の場合、研究も恋愛も楽しみたいと思います。

インタビュア ありがとうございました。同世代の男女間でこれ程、異なる意見が存在することは興味深いです。まさに多様化する研究者の価値観を感じます。次回はこれまでの意見を踏まえて、既婚者の方の意見を聞いてみるつもりです。


11月| 研究と結婚(3) 子連れで学会?

はじめに(あらすじ) 前号では研究と結婚をテーマに、独身の男性、女性研究者へのインタビューを行いました。同業者が理想の結婚相手であるという男性研究者に対し、女性研究者は以前と現在の研究環境の変化からもっと結婚相手野選択肢も多様性があるのが自然であろうという意見でした。では実際に結婚している人の意見はどうなのでしょうか?今回は既婚の女性研究職の方にお話して頂きます。

インタビュア よろしくお願いします。まず前号を読んだ感想をお聞かせ下さい。

― よろしくお願いします。実際、研究者同士でおつきあいされて結婚しているケースは私の周りでも多いですね。テクニシャンの方で研究者と結婚する事も多いと思います。私の場合も職場結婚でした。

インタビュア そうですか、研究者同士の場合、同じ文化を共有しているので、お互いコミュニケーションが上手くとれるのかも知れません。

― ただ、お互いが理解できるという面では問題は感じませんが、子育てとなるとそうもいきません。子育ては女性が研究者として仕事をする上で、かなりのハンディになると思います。私も二人の子どもがいますが、そりゃあ大変です。この部分には、研究者だからとかではなく、日本の社会システムにも男女の不平等を感じます。

インタビュア 具体的にはどういう不平等が存在しますか?

― まずはじめに、子どもの送り迎え、食事ですね。子どもはある程度の年令になると保育園や幼稚園に通います。最初はもちろん交代でやる事になっているのですが、次第に女性の頻度が増えてきます。特に迎えに行くのはほとんどの場合、男性はできませんし、夕食を考えると女性が迎えに行く方が、効率が良い面も多いのです。結婚前は、夕方からの実験や、土日の実験も研究のぺ-スに合わせて組めましたが、結婚後、特に子どもが生まれてからは難しくなりましたね。

インタビュア 女性がプロフェッショナルとして研究を続ける場合、子どもの影響はかなり大きそうですね。

― そうなんです。実際子どもがいても夫婦共に同じラボであれば、子どもを連れて土日にラボに行くケースも聞きます。しかし、別の研究所であったり、職業が異なる場合はそういう事は不可能です。最も影響が出るのが学会などです。家から通える距離にあればまだ良いのですが、遠隔地の場合どうしても参加しづらいのです。家族の理解が得られても、なにか後ろめたさを感じてしまいます。結婚相手はともかく、日本の常識では未だに母親が子どもをおいて一人で出かけるのは非常識と考える人がまだ多いです。

インタビュア そういえば今年の分子生物学会には、ジェンダーの問題を考え託児所が併設されるそうです。

― あれは非常に画期的な事だと思います。この分野に限らず、日本にはまだジェンダーの問題を真剣に考えようという風土が育っていないような気がします。既に取り入れられている制度でも、他の既開発国が実施しているなどの理由で施行されるのではないでしょうか。だから中身が議論されず表面的な制度になっている気がします。個人的には、研究職などの男女の差が現れにくい職業ほど、先駆的にジェンダーの問題に取り組むべきだと思います。

インタビュア どうやら結婚、それに続く子育ての女性研究者に与える影響はかなり大きい様ですね。特に情報収集の場である学会に参加しづらいのは問題です。。しかし今日はライフサイエンス関連の話が少なかったですね(笑)。

― そうかもしれません(笑)。逆にいえば研究そのものは非常に楽しく、研究室ではあまりジェンダーの問題を意識しないのかもしれません。もちろん研究室内部でジェンダーの問題があるところも存在するのでしょうけど。結婚前は研究室内、結婚後は研究環境にある問題に意識がいくのかもしれません。

インタビュア 今日は男性では分かりづらい結婚後の悩みをお話頂きありがとうございました。次回はいよいよ本シリーズの最終回でまとめてみたいと思います。


12月| 研究と結婚(4) まとめとして ~インタビュアの感想~

 本シリーズでは「研究と結婚」をテーマに、年齢や背景の異なる研究者にインタビューを行い、アンケートでは埋もれてしまいがちなナマの声を拾う事を試みました。過去三回のインタビューではそれぞれ方向性のある意見が聞けたと考えています。今回は連載を振り返って小括したいと思います。

シリーズのレビュー 第一回で取り上げた独身男性研究者の場合は、研究職というものへの理解や自分の研究の都合から、同業者との結婚を希望する旨が聞かれました。対照的に、第二回の独身女性研究者の場合は、自分の研究の都合や、研究室内の恋愛を真近にみて、逆に同業者との結婚を望まない旨が聞かれました。第三回では既婚女性研究者にお話を伺いましたが、たとえお互いの理解が得られても、実際の子育てでは多々苦労する旨が聞かれました。

 以上3回のケースでは、、研究者業界にある結婚の問題の全てを覆うことはもちろん出来ませんが、その一端を垣間見ることはできたと思います。今回は取材を通した感想を述べて、連載の締めにしたいと思います。

 まず第一に、男女の未婚研究者の間で、結婚と研究に関する認識が大きく異なると感じました。今回の未婚男性研究者の場合、先輩研究者のライフスタイルを見て、それらを好ましいと捉えているようですが、他方、今回の未婚女性研究者はそうではないようです。想像ですが、この現象はラボ社会は通常、男性社会であることから生じているのかもしれません。また第二回で語られた「同じ研究室内で恋愛する問題点」も、身近な具体例として読者の方々にも共感する部分があったと思います。ある資料*には、約5割の研究者が同業者と結婚していると書かれています。同業者結婚はある意味、典型例であり、それと同時に、アカデミックハラスメントなど様々な問題点も含まれている可能性があります。さらに未婚女性研究者の「旦那さんと同じ分野を研究したくない」という意見は、夫婦別姓の問題に通じるでしょう。婚姻により研究上の名前を変えるのは、研究者としてのキャリアを保つ上で不都合が多いのではないでしょうか。旧姓使用の実現は研究環境の整備の一環として検討されるべき問題でしょう。第3回では研究者を続けていく中で育児と研究の両立や、女性研究者が研究を続ける上での世間の目の厳しさが語られました。特に同じ分野の研究者同士のカップルの場合、学会の出張が重なることも多く、乳幼児がいる場合には出張期間中の子どもの世話が問題になるでしょう。今年の分子生物学会の託児所をはじめとして、学会における託児所の併設が一般化する必要性を感じました。

 今回の取材を通して大学生から院生、プロの研究者になるにつれて、徐々に女性が研究を続けるのに困難が増える印象がありました。男性の場合も、他の職業に比べて、雇用の安定性の面や収入の部分でさまざまな問題がありますが、女性研究者の場合は、育児、世間の目など社会構造の部分の問題も含まれていると思います。若手研究者人口の増加が、「ポスドク一万人計画」のもと国の政策レベルで実施されている今、若手研究者をめぐる環境に変化が現れてきていると感じます。ナイトサイエンスの視点から、男女の価値観の違いや、現代の研究環境で語られていることが活字になることの是非を問う意見もありましたが、キュベット委員会では今後も、いろいろな角度からアカデミアの領域を映す企画を実施していくつもりです。

(PNEキュベット委員会)
*雑誌「科学」2000年4月号(天文学会による調査)