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2005年

1月| 博士の就職難は本当に問題なのか?(2)
―就職活動をしてみよう!― 

1.新卒採用市場と中途採用市場

 人材市場は大別するとこの2つに分けられます。新卒採用市場は、リクナビ・日経就職 ナビなど新卒者向け求人広告サイトを利用して行うものと、学科や教授の推薦で就職する 学校推薦という制度があります。後者は工学系専攻では一般的です。新卒採用市場ではど ちらかというと、専門性よりも入社後の伸びしろが重要視されます。
 中途採用市場はこの数年のあいだに急激に一般的になりつつあります。変化の激しい時 代にあって内部で人材を育てるゆとりがなくなりつつある企業は、必要な能力を持った人 材を外部に求めるようになっています。こちらでは、入社してからの伸びしろはもちろん ですが、即戦力になれるかどうか、「職務履歴」がとても重要になります。
 就職に機会は、以前のように知り合いや教授・大学の伝手に頼る閉鎖的なものではなく、 よりオープンなものとなってきました。そのなかで博士の就職は、新卒採用に応じる場合 も「中途採用」の扱いに近いものになっているように感じられます。

2.研究概要と履歴書の準備

 博士にとって「職務履歴」に相当するものは、大学院生・ポスドク・オーバードクター として行ってきた研究の履歴です。求人に応募する場合、研究職であれば職務履歴に相当 する書類として、研究概要と履歴書の提出を求められます。研究概要・履歴書はいったい どのように書けばよいのか、そのポイントを示します。

 研究概要:研究概要は「研究の意義と目的」「実験・解析と結果」「考察」で構成され ます。ここでは、自身の研究能力の高さを示さねばなりません。研究能力としては「課題 設定能力」と「研究遂行能力」の2つがあります。
 「課題設定能力」は、自身の研究について、研究分野の中でどのような位置づけにあり、 どのような意義があることなのかを説明するとともに、研究のめざす方向が実験・解析と どのように論理的につながっているかを示すことで明らかになります。「研究の意義と目 的」とのつながりも大切になります。また、得られた結果から、今度はどのような方向に つなげていくのかといった「考察」も大切なポイントになります。
 「研究遂行能力」は、「実験・解析」のところで示されます。研究でぶつかった壁、そ して、その壁をどのように乗り越えたのか、学会発表ではさらっとふれて終わるようなと ころに重点をおいて書いてください。また、研究を通してどのようなスキルを身につけた のかを記しておくと効果的かもしれません。また、いうまでもないことですが、どんな分 野の研究者なのかを示すため、研究内容をよく表した「タイトル」をつけることも大切で す。
 履歴書:履歴書は面接官とのコミュニケーションのための道具と考えてください。そこ にある項目のすべてが会話のきっかけになり、応募者の人となりを知る手がかりとなりま す。たとえば、趣味に読書と書けば、「どんな本がすきなのか?」「その本を読んでどう 思ったか?」というように会話が広がっていきます。また、もちろん自己PRは大切であり、 たとえば、「忍耐強い」「理詰めで考えることができる」といったキーワードを並べるだ けでなく、なにかそのキーワードをあらわすようなエピソードを示すと親切です。さまざ まな自己分析の良書が出版されていますので、参考にしてみてください。

3.民間企業に就職するにあたって

 民間就職における研究の本質は、「真理の追究」ではありません。そのベースにあるの は、研究の成果として得られた商品なりサービスを通し、いかに社会に貢献するかという ことです。自分が研究を通じどのように社会の役に立てるか、その気持ちをもってもらえ たらと思います。

 隔月連載3回目の次号(3月号)は、大学院における指導上の問題、博士の求人市場の 創造についての考えを述べる予定です。

奥井隆雄 (「博士の生き方」運営) 
E-mail:webmaster@@hakasenoikikata.com


2月| 右手に資格、左手にチャレンジ

 サッカーの中田英寿選手が税理士の資格を取ろうとしていることは有名な話です。
 中田選手にとって、サッカーはあくまでキャリアの一部であり、サッカー選手として成 功することがすべてではないそうです。
 ひとつのキャリアが終わったあとの人生を見通して、税理士という資格を目指しながら、 サッカーというリスクの高いチャレンジをするという彼一流の考え方は、われわれにも示 唆的です。詳しくは「組織に頼らず生きる――人生を切り拓く7つのキーワード」(小杉 俊哉・神山典士著、平凡社)をご参照ください。
 研究者という職業も、事情は大きく異なるものの、とくに基礎科学分野では、成功する 確率が少ない職業と考えることができるかもしれません。しかし、研究者予備軍である大 学院生が、成功の確率を厳しく見つめ、将来を見通して人生設計をしているかというと、 どうも心許ないように思います。教授や周囲からの甘い誘いに応じて、自分の能力を深く 省みることなく、きっとうまくいくだろうと希望的観測で大学院に進学し、ポストドク ターまでは行くものの、大きな成果を得られることなく、きっと今年こそは大きな成果を、 と思いながら年齢ばかり重ね、他の社会でやっていくことのできるスキルもないまま路頭 に迷う…。
 これは決してホラ話ではありません。皆さんの周囲でも、そろそろこのような話が聞か れてきていることでしょう。教授は成功者ですから、研究が上手くいかずどうしようもな くなったという経験に乏しいでしょう(もちろん、大なり小なり失敗や挫折はあるでしょ うが、結局は成功しているわけです)。だから彼らは、今は余計なことを考えず、研究に 専念せよと言うに決まっています。なぜなら、それで成功したのだから、それ以外の提案 はできないのです。
 しかし、成功は努力の量だけに依存してはいません。努力や犠牲を払い研究しなければ 成功しませんが、努力したからといって成功するとは限りません。運や能力など、さまざ まな要素がからみあって成功するわけです(とりあえず、成功の定義は保留します)。研 究者として成功できなかったとしても、誰も保障してくれません。結局のところ、自分の キャリアを作るのは自分なのであり、一人ひとりがリスクをどのように捉えてチャレンジ をするのかを考えていかなければならないのです。
 リスクを承知の上で、すべてを研究に捧げるというのであれば、たとえ失敗しても納得 がいくでしょう。それも一つの選択肢ですし、資格やさまざまなスキルの習得を目指すの も一つの選択です。とはいうものの、すべてを自己責任に帰してしまうわけにはいきませ ん。スポーツなら成功がわずかな確率であることを知ってチャレンジできますが、研究の 場合、そのあたりのことが見えてきません。甘い言葉で学生を誘っておきながら、うまく いかなくても自分で考えろ、で放り出すのは、きつい言葉ですが詐欺に近いと言わざるを えません。
 しかも、在学中は研究のみに専念させ、私生活さえ縛り他のことは禁止して、スキルの 習得や他の可能性の探索もできないような状況におかせたとするならば、使えない「余剰 博士」ばかり産生されてしまいます。もちろん、研究を通して身につく能力というのはあ ると思いますが、本来ならテクニシャンがやるべき雑用まで大学院生の仕事となり、しか も非常に狭い領域での成果を求められる今の大学院教育では、社会に通用する能力が養成 されるか疑問です。
 現役の学生・研究者には、隙間時間を使い社会に通用するスキルを身につけるしたたか さを、大学当局や指導教官には、学生や部下が研究以外の領域へ進出するのが当たり前と いう社会情勢の認識を身につけることを求めたいと思います。
 さて、Jリーグでは「キャリアサポートセンター(*1)」を設置し、セカンドキャリ アの支援をしています。科学コミュニティは、大学院教育を自らの後継者養成に限定せず、 社会に必要な科学的知識、思考法を身につけた人材を送り出す、という意味があることを 自覚し、研究者の多彩なキャリア支援を真剣に考えていく必要があるのではないでしょう か。
(*1)URLはhttp://www.j-league.or.jp/csc/index.html

深島 守 (NPO法人サイエンス・コミュニケーション)
E-mail:office@@scicom.jp


3月| 博士の就職難は本当に問題なのか?(3)
―博士のための人材市場をつくる― 

 連載第2回(1月号)においては、企業の求人に応募する場合の研究概要・履歴書の書 き方について述べました。しかし、実際に就職活動をするうえで、博士には困難がつきま といます。そこで今回は、その解決策として、博士のための人材市場について述べます。

●博士にきびしい人材市場

 前回も述べたように、人材市場には新卒向けと中途向けがあります。博士が新卒採用に トライする場合には、就職活動の時期がネックとなります。すなわち、D2の秋からD3の秋 という、もっとも研究成果があがるべき重要な時期にあたり、就職活動が長期化した場合 には、研究にも大きな支障がでてきます。また、中途採用に応募する場合だとそれよりも 早くなり、今度は実務経験の少なさがネックとなります。

●博士のための人材市場を作ろう

 企業が博士を採用しない理由として、文部科学省「平成14年度・民間企業の研究活動に 関する調査報告」によれば、「博士の能力をうまく生かしきれない」と博士が基礎研究に しか興味がないと考えていること、そして「わからない」「とくにない」と求人対象とし て初めから考慮していないこと、があげられています。これは、博士が社会にとって、企 業にとって、どのように役に立つのかが明確でないためだと考えられます。
 博士の価値は、その専門知識にあるのではなく、研究や大学院生活全般において培われ た経験にあるのだと思います。自分でテーマアップをして苦労をしながら成果を出してい く能力、そして、教官や後輩を巻き込んで研究を進めていく調整力・統率力といったもの が、個人差はあるにしろ、博士は身についてきています。このような能力は、研究開発だ けでなく、企業のさまざまな領域で求められるもので、将来、企業においてリーダーシッ プを発揮するのに必要なものであると考えます。
 博士のための人材市場が、このような「リーダーシップを担う可能性をもつ人材として の博士」を広くアピールする場となればと考えています。そして、このような市場が存在 することが、博士という人材を企業にアピールし、大学・学生双方に対し企業への就職を 意識させることにもつながるのではないかと考えます。

●「博士の生き方」の取組み

 筆者が自身の博士課程在籍時を振り返って感じるのは、自分たちが研究を遂行するうえ でさまざまな技術と社会性を身につけてきているにもかかわらず、企業にとっていかに魅 力的であるかに気づいていないということです。
 このような気持ちを抱いていたところ、協力してくれる人材紹介会社があり、「博士の 生き方」(http://hakasenoikikata.com/)において、「博士のための職業紹介」を始め ました(注1)。この取組みのなかで筆者は、研究概要・履歴書の書き方をアドバイスす ることを通し、相談者には自分が人間的にまた研究能力の面で魅力あることに気づいても らい、自信をもって就職活動ができるようサポートをしています。また、希望があれば、 人材紹介会社も紹介しております。「博士の生き方」が大学・研究機関の窓口となり、人 材紹介会社が企業開拓に励むことで、この試みが博士のための人材市場として大きく広が ることを期待しています。
 この「博士のための職業紹介」においては、相談者が人材紹介会社を通して就職した場 合、人材紹介会社には受け入れた企業から、紹介手数料として相談者が受け取るであろう 年収の3割相当額が入ります。現在、理工農医で毎年約3500名程度の博士が、学位取得時 点で進路が決まっていません。仮に、このうちの半分が人材紹介会社を介し就職した場合、 約20億円の市場が生まれることとなり、博士のための人材市場の誕生は人材紹介会社に とっても大きなメリットがあると考えています。そして、これまであまり戦力と考えられ ていなかった博士を受け入れた日本社会が受ける経済的な恩恵は、その数十倍、数百倍に もなるのではないかと考えます。

 隔月連載第4回(最終回)の次回(5月号)は、総括として、これまでの連載内容、就職 問題に関するQ&Aを述べたいと思います。

奥井隆雄 (「博士の生き方」運営) 
E-mail:webmaster@@hakasenoikikata.com


4月| 新しい技術を受け入れるために求められるもの

―GM食品のPA活動から―

  最近、バイオ関連機関が遺伝子組み換え(genetically modified ; GM)食品について のパブリックアクセプタンス(public acceptance ; PA、社会的受容)活動を積極的に推 し進めるようになりつつある。このPA活動は、GM食品など新しい科学技術を社会に浸透さ せられるかどうかの鍵を握っている。

●懸念の影響とPA活動の重要性

 近年、GM作物が大量に輸入されるようになって、私たちの食生活にGM食品が深く浸透し つつある。しかし、GM食品に対する消費者の不安は根強く、その研究・開発に大きな影響 を及ぼしている。
 昨年までに、日本たばこ産業や三菱化学など大手企業がGM作物の研究から撤退し、積極 的に研究を行っている公的研究機関でも、あいついで栽培実験が中止された。とくに北海 道では、研究も含めたGM作物の栽培を厳しく制限する条例が今年中にも制定される可能性 が高くなっている。最近では、滋賀県、茨城県、岩手県が試験栽培までを規制するガイド ラインなどを策定した。また教育現場では、学校給食にGM食品を使用することに保護者な どから強い反発がある。
 今後、多くの有用な特質から、将来の世界的な食糧危機を救う可能性を持つGM食品が社 会に受け入れられるためには、的確な情報提供やリスクコミュニケーション(リスクに関 する正確な情報を共有しつつ相互に意思疎通を図ること)を行うなどの、PA活動が重要と なっている。

●政府機関の対応と現実

 GM食品に対する懸念の根本的原因の一つは、その導入時に科学者や政府がきちんと情報 提供をしなかったことがあるといわれ、マスコミや食品業者さえGM食品を正しく理解して いないことが多い。このような現状から、政府機関では数年前よりPA活動の一環としてGM 食品に関する意見交換会を行っている。しかし、これらは平日の昼間に行われるため、参 加できる人が限られてしまっている。ここでの意見がGM作物・食品に関する法的案件を決 める際に影響するのだが、このやり方では多くの消費者の声を反映したものにはならない だろう。政府機関の行っているPA活動は一般の消費者を意識しているとはいえない。より 多くの市民がGM食品について知る機会をつくることが必要だ。

●もっと身近な場面からのPA活動

 近年、いくつかのバイオ関連機関では、学校などの教育現場や科学館、保健所など、一 般の市民が集まる場所に出向いてPA活動を行っている。これらが以前の活動と異なるのは、 一方的な説明をするのではなく、消費者の不安にも耳を傾け、ともに考えていくというス タンスである。GM食品の現状や遺伝子組み換え技術についての解説だけでなく、DNA抽出 実験や形質転換実験なども体験してもらうことが多い。参加者層はさまざまで、GM食品に ついてよく知らないという人がほとんどである。ただ、この活動には人材が非常に少なく、 効果があるかどうかすぐに結果が出ないため批判も多い。しかし、多くの参加者はGM食品 は危険でないことを理解してくれる。また、各機関などからPA活動を行ってほしいという 要望は確実に増えている。

●社会が新しい技術を受け入れるために

 PA活動はGM食品に限ったものではない。昨年、米国のある研究者が、ナノ粒子を吸い込 んだ動物は肺や脳に損傷を受け、ナノ粒子は細胞核まで侵入する可能性があると公表した ことから、一部ではナノテクに対する懸念が広まった。米国やEU(欧州連合)では、ナノ テクに関する政策のひとつとして、リスクコミュニケーションを行うなどの対応を重要視 しだしている。
 このように、社会が新しい技術を受け入れるには、規則・法令を遵守するだけでなく、 信頼度の高い情報の提供やリスクコミュニケーションなどのPA活動が欠かせなくなってき ている。しかし、その普及には困難な点も多い。いまこそGM食品のPA活動をしっかりして おくことが、GM食品の発展だけでなく、ナノテクに代表される新たな技術を社会に広める 上でたいへん重要なのである。

木村裕美
E-mail:gmfd_pubassess@@yahoo.co.jp


5月| 博士の就職難は本当に問題なのか?(4)  
――読者の質問にお答えします

 最終回の今回は、博士課程修了ののち企業に就職することに興味をもつ生物系の学生3 名に、今回の連載を読んだうえで質問を出してもらい、それに答えるという形にしました。
 この10年のあいだの博士課程をとりまく変化をみてみると、以前は、大学教員の年間採 用者数6,000人程度に対し博士課程修了者は年間6,000人を少しこえる程度であったのが、 現在では、大学教員の採用数はほとんど変わらないのにもかかわらず、博士課程修了者は 2倍に膨らんでいます。これは、将来にわたり確実に大学教員になれない博士が多数生み 出されることを意味します。また、ポスドクというポストは一般的になりましたが、毎年 のように大勢のポスドクを使い捨てにするような研究機関もあるようです。
 このような逆境のなかで生きていくために、筆者は企業への就職をひとつの有望な選択 肢として提示してきました。今回は、寄せられた質問の中からとくに多かった、企業で働 くことや企業への就職活動にまつわる不安についての質問に答えていきます。
質問 企業の研究所は大学・国立研究所とどう違うのか。また、最近は、研究職で学生を とっても研究職以外の分野にまわしてしまう企業もあると聞くが、実際はどうなのか。
回答 企業の研究所は、近い将来にお金になるという見込みのある研究テーマを選んで研 究を行う点が、大学や国立研究所とは違うところです。また、技術系の場合は、新卒でい きなり営業にまわされるということはないと思います。最先端の分野の場合は、買うほう も売るほうも、実際に研究にたずさわっている者どうしで話しをしたほうが理解が早いと いう理由で、営業職にまわされるというよりは、研究職でありながら営業もするという形 が一般的なようです。たとえば、青色発光ダイオードの発明で有名な中村修二氏も、自身 で開発した製品を売るため徳島市内の飲み屋で接待をすることもあったと書いています。 企業にいく以上、なんらかの形で営業にかかわるということは避けては通れないと思いま す。

 これまで隔月で4回にわたって連載を行ってきました。一昔前であれば、博士課程→大 学教員・公的研究機関研究員という流れはほぼ保障されたものだったので、流れに身を任 せて安心して研究に没頭することができました。しかし、現在はそのような保障のない時 代であり、自分自身でしっかりと将来の目標を定めて、そのためにいま何をするべきか考 えないといけない状況になってきています。筆者は、今後もホームページ「博士の生き 方」(http://hakasenoikikata.com/)にて、進路を考えるうえで役に立つ情報の提供や、 さまざまな機関と協力してのイベント企画を行っていくことで、大学院生・ポスドクのキ ャリア形成の役に立っていきたいと考えています。

奥井隆雄 (「博士の生き方」運営) 
E-mail:webmaster@@hakasenoikikata.com


6月| 学部広報に期待すること

 最近、多くの大学が広報活動に力を入れています。外部向けに大学を紹介する広報の仕 事は、日常、実験に明け暮れている私たちとは縁がないと思うかもしれません。ところが、 私の所属する大学では、数年前から学部レベルで広報室をつくり、活動の一部に大学院生 を参加させようという試みが始まりました。
 「大学広報」と「学部広報」は組織が分かれていて、仕事の目的も少し違います。大学 のイメージアップを狙う大学広報の対象は受験生、企業、学生であり、大学のホームペー ジでも各々に入学案内や産学連携、奨学金などの事務手続きを載せています。一方で、学 部広報のおもな対象は内部の学生やポスドク、大学院受験生といった狭い範囲の人々です。 自分も大学院生として教官へのインタビューや講演会を手伝う機会があったことから、こ こでは学生により身近な情報源となる学部広報について考えたことを述べます。

●学部生への広報活動

 学部生への広報活動には、1.事務連絡、2.大学院の入学案内があります。学生生活を支 える奨学金の案内や講義日程の掲示は広報の基本といえるでしょう。2.の大学院案内は大 学院受験を考えている学生と社会人が対象です。入学案内には募集要項や過去問などの事 務的な情報が載っており、リンクをたどれば研究室ホームページで研究内容や業績をすぐ に見ることができます。ここでさらに、研究室選びを広報がサポートできないか考えてみ たいと思います。自分が学部生だったときの経験では、研究室を決めるときに重要な「指 導教官はどんな研究者なのか」という情報は、ホームページだけではなかなかわからない ものです。学生から見れば、研究成果と同時に、研究の過程も教官を知るいい材料ですが、 失敗談を載せる人はまずいないでしょう。教官インタビューでも、研究の苦労や教官自身 の研究哲学を引き出すにはうまい質問をすることが大事です。たとえば、広報によるイン タビュー形式なら、学生の知りたい研究者の素顔に近づけるはずです。もちろん学生側も、 オープンキャンパスなど直接研究者と話せる機会を利用することが大切です。

●院生とポスドクへの広報活動

 院生やポスドクへの広報には、1.事務連絡、2.プレス・リリースがあります。1.の奨学 金や学術振興会関連の情報は十分役に立ちますし、2.も研究の宣伝だけでなくほかの研究 室の活動に刺激を受ける効果があります。さらにもう一つ、研究者に役立つと思うのが、 3.研究室と研究室をつなぐ機能です。大学の各研究室は、同じ建物内でもよその研究室の 研究内容をよく知らず、専攻が違えばほとんど何も知らないということがあります。実は 先にあげた広報誌のインタビューでは、「専攻横断的な授業や共同研究ができればいい ね」という話が出ることがあります。なによりインタビュアーである院生の多くが自分の 専攻以外の教官に会いに行っていることが、ヨコの風通しをよくしたいという院生の欲求 のあらわれではないでしょうか。大学全体では規模が大きすぎても、学部単位ならセミ ナーや学生どうしの交流が可能です。学会のように情報交換できる場を学内につくれば、 意外な共同研究相手がみつかるかもしれません。

●研究と広報のいい関係

 「イメージアップ」という漠然とした期待に対し、実際の広報活動は「誰に」「何を」 「どのように」伝えるか計画性が問われる仕事です。たとえば専攻横断セミナーを開くに は、授業との時間調整や広い会場の確保が必要です。忙しい大学教官にインタビューの約 束を取り付けるのも簡単ではありません。教官が研究の片手間にかかわるのではなく、事 務と常に連携して動ける広報室を置くほうが研究者の負担も減るでしょう。将来の学部広 報には研究者側のニーズをつかんでセミナーを開いてほしいと思います。研究者側も広報 を面倒な書類仕事ではなく風通しのいい研究環境を作るための方法と考えて、どんな仕事 をしてほしいのか積極的に話す必要があるでしょう。

須賀晶子(東大院・理)
E-mail:ss37192@@mail.ecc.u-tokyo.ac.jp


7月| 科学コミュニケーションの現場より(1) 
オリジナル企画展「恋愛物語展」で科学を伝える

 科学の面白さ、重要さを社会に伝える取り組みが注目されていますが、これから3回に わたり「科学コミュニケーションの現場より」というテーマで、日本科学未来館で行なわ れている、一般の方へ科学の楽しさを伝える取り組みを紹介したいと思います。
 1回目は、企画展による科学コミュニケーションの実例として、現在、未来館で開催中 の特別企画展「恋愛物語展――どうして一人ではいられないの?」を取り上げます。この 企画展は、誰もが「恋愛」からイメージする、わくわくどきどきする気持ちを裏切らない ようにしながらも、科学的なトピックスを多く取り上げていきます。8月中旬まで開催さ れ、数万人の来場者を予定しています。(注1)

●企画チームについて

  私は昨年8月から未来館で働き始め、企画チームの一員となりました。長らく研究や研 究関連の仕事に携わってきましたが、一般の方へ科学を伝える科学コミュニケーションの 仕事は今回が初めてであり、戸惑いと何か面白いことになりそうだという期待半々で仕事 を始めました。企画展に限らず、常設展示やイベントの企画は、展示開発室の科学技術ス ペシャリストとよばれるスタッフを中心に進めます。スペシャリストは、科学的なバック グラウンドをもつ分野系と、展覧会開催や出版・デザインの経験を持つ手法系からなり、 分野系は4つの科学分野に分かれています。ただし、大きな企画展では分野横断的な企画 チームが組織されますが、恋愛物語展では、生命科学分野系スタッフ2人と、手法系4人 から構成されました。分野系スタッフが、研究資料の収集をしたり、研究者と直接コンタ クトしてリサーチを行い、ストーリー展開や、シンポジウム・実験教室の内容を提案しま す。会場や展示デザインは手法系スタッフを中心に進められます。

●なぜ「恋愛」なのか

 最近、市民公開シンポジウムや大学や研究所の一般公開などで、研究者自身が一般の人 たちへ科学を語る機会が増えています。しかし、先端科学を講演だけで理解してもらうこ とはとてもむずかしいことです。今回の企画展は、誰もが反応する「恋愛」を切り口に、 これまで科学に馴染みのない若い女性やカップルもターゲットとして、企画展を介して科 学を伝えます。科学を前面に出してもあまり興味がわかない層にも、これをきっかけに科 学へ興味をもってもらうことを期待しています。若い人の感性に合わせて、会場内はXとY の刺繍をした半透明の白いカーテンに包まれ、照明を抑え落ち着きのある空間になってい ます。

●「恋愛物語展」と科学コミュニケーション

  「恋愛物語展」は、文字どおり物語仕立てで、来場者が1つ1つの章を読み進めながら 楽しめるように工夫しました。全体の構成は、「第1章 恋する生命体」「第2章 恋す るホモサピエンス」「第3章 恋する人の物語」の3つからなります。
 第1章では、地球上に生物が生まれ数十億年も生命を受け継いできた生物たちの恋愛を 語り、物語の流れのなかで、減数分裂や性決定遺伝子、ゲノムインプリンティングなどの 科学トピックスを取り上げ、エピローグのクローンマウスや単為発生マウスの話題につな げています。最新の研究を含むため、会場では理科系のバックグラウンドを持つインター プリター(展示説明員)が来場者の質問に答えるようにしています。恋愛という切り口で 科学を語ることで、来場者は期せずして先端の生命科学を垣間見ることになります。
 会場内の特設バーラウンジでは、研究者のトークショーも予定しています。新しいタイ プの科学コミュニケーションとして、参加者とじかに語らう場になることを願っています。

次回は、実験を通した科学コミュニケーションの取り組みを紹介いたします。

橋本裕子(日本科学未来館 展示開発室) 
E-mail:y-hashimoto@@miraikan.jst.go.jp
日本科学未来館ホームページ:http://www.miraikan.jst.go.jp


8月| 科学コミュニケーションの現場より(2) 

実験で科学を伝える

 読者の皆様、本日の実験結果はいかがだったでしょうか? 変わったことや気になる データが出ましたか? どんな実験結果であれ結果は結果ですから、そこから何を見いだ すかで、ノーベル賞級の研究になるかどうかが決まるといっても過言ではありません。し かし、一流誌に掲載されることや社会に役立つといったことが、研究の良し悪しを決める わけでもなく、いかに新しい考え方、あるいはオリジナルのコンセプトをうちだし、異な る視点とアプローチをもって実行するかが鍵であり、それが後世に残る光る仕事になるの です。研究は、なぜだろうという疑問から仮説を立て、証明するにはどうすればいいのか を考えるところに面白みが凝縮しています。研究の過程である実験に忙殺され、考えるこ とをおろそかにしていませんか? 前置きが長くなりましたが、皆さまがライフワークと して取り組む実験を通して、一般の方へ科学を伝える(科学コミュニケーション)とはど ういうことかを考えてみたいと思います。

 一般の方へ科学を伝えるときに考えなければならないのは、いかに教えるかではなく、 受け手が何を得るのかということです。そもそも科学とは何かといった原点まで戻り、そ れを伝えるにはどうすればよいのかを考えます。内容の理解は次の話で、要は科学的な思 考にいかにして触れてもらうかにつきます。同一条件下では誰がやっても同じ結果となる 原理原則にもとづいた科学という言語は、人類どころか宇宙人とも共通のものであり、そ れを知恵として共有すべきものだからです。その科学的思考にふれるのに適しているのが、 実験をすることです。ものごとを教えたり伝えたりするには、さまざまなテクニックや手 法がありますが、百聞は一見にしかず、実験を自ら体験することは、科学的に考えるとい う新しい視点を提供するのにきわめて有効な手段です。

 では、体験してもらうにはどうすればいいのでしょうか。実験というと、ペットボトル ロケットや静電気で物体が浮いたりするような、見た目の不思議さや派手さのショー仕立 てのものが思い浮かびます。それはそれで子供たちには人気がありますが、びっくり手品 の種明かしが物理法則だったようなもので、科学的思想を追体験する実験とはちょっと違 います。自分の手で実験をし、対象群をよく観察し、失敗を含めて結果について考えるこ とが大事で、そのような場や機会をつくらなくてはなりません。

 そういう意味で日本科学未来館では、特別に実験工房という実験室を備え、実験教室を 定期的に開催しています。実験教室では、体験者の対象設定が肝心です。小学生を含める のか、中高生限定なのか、あるいはバイオビジネスにかかわろうとする社会人対象なのか、 それとも一般向けなのかによって、内容の設定も大きく変わってきます。また、時間もと ても大きなファクターです。2日間かかる遺伝子組み換え実験にしても、大学などの一般 公開日の1日という限られた時間だけではできません。料理教室のようにオーブンに入れ たとたんに出来上がりの実験形式のものは、失敗はありませんが興味半減で、伝わるもの も伝わらなくなってしまいます。そして一般を対象に実験を行うということは、安全につ いても十分注意しなくてはなりません。触るなと言っても触る小学生に対して、DNAの抽 出にフェノールを使うことは、やめておいたほうが無難です。危険だからといって包丁を 使わせないわけではなく、危険は危険としてしっかり指導するには、人員を配置して練ら れたプログラムで行うことが肝心です。また、生命科学の実験では倫理的な面も考慮しな ければなりません。結果から親子関係が判定されてしまうようなものは容易にはできない のです。そういったことを考慮に入れ、未来館ではプログラムを練り、一般向けに無細胞 系蛋白質合成系でGFPを合成する実験や、in situハイブリダイゼーションで遺伝子の発 現を観察する実験教室を開催しています。一度のぞいてみてはいかがでしょうか。私とし てはこれから科学を伝えるための実験を考えてみたいところです。

 次回は、少人数での双方向のトークイベントなどを通した科学コミュニケーションの取 り組みを紹介いたします。

菅原剛彦(日本科学未来館 展示開発室)
E-mail:t-sugawara@@miraikan.jst.go.jp
日本科学未来館ホームページ:http://www.miraikan.jst.go.jp


9月|  科学コミュニケーションの現場より(3)

トークイベントでの双方向性を目指して
~研究者と科学館ができること~

 PUS (public understanding of science)やPUR (public understanding of research) という言葉をご存知だろうか? 「科学をもっと社会に」というかけ声のもと、「科学を みんなに理解してもらおう」という“理解増進”の活動の概念がPUS。対してPURは、PUS が陥りがちな「知識の足りない大衆に教える」という押し付けの姿勢に対する反省もこめ て、研究そのものを人の営みとして伝えていこうというもの。専門家には怒られそうな乱 暴なくくりだが、おおよそそんなところだ。われわれ科学館も、研究者たちも、このPUR に相当するような新しい取り組みや、さまざまな工夫、努力が求められはじめた。日本科 学未来館は、従来型の講演の枠からはみ出すものを実験し提案している。「展示の前で研 究者に会おう」は、開館以来40回以上を重ねる毎月のイベントだ。常設展示の監修者や協 力者をゲストに、展示物の前でトークを行なう。展示物の前であるから、当然、講演用の スペースではない。マイクは用いるものの、演壇もなく、ゲストと40人程度の参加者とを 隔てる距離は小さい。

 イギリスからティム・ハント博士(2001年ノーベル医学生理学賞)を迎えて2003年12月 に行ったイベント「生命とは何か?――細胞が分裂して生命がはじまる」では、展示場内 に70席の特設会場を設け、そこに10台近くの顕微鏡を持ち込み、ウニの発生実験を博士の 話と同時進行で行った。参加者は、博士の研究の軌跡をたどりながら、リアルタイムで進 行する実物の細胞分裂を目のあたりにする。

 昨年11月から著者が始めた「ライブトークScience Edge」シリーズも、会場は展示場内。 30人程度の参加者の前で、ゲストと当館スタッフが対談しながら、会場を巻き込んでいく。 イベントの特徴はゲストの選び方だ。数ヶ月以内に出版された顕著な論文の第一著者を招 く。ほとんどが20代後半から30代前半、院生ないしポスドクだ。自身の最新の研究につい て語り、同世代中心の参加者がエールも交えた質問やコメントを返していく。

 いずれも参加者の少ない小規模のイベントであり、費用対効果を疑う声も出る。しかし、 密度の濃い体験をした人々がそれをそれぞれに持ち帰って発信できれば、決して多人数に 劣るものではない。キーワードは、双方向性。参加者が「聴衆」で終わらずに、ともにイ ベントを作る立場に立てたか。研究者がどれだけ参加者の言葉に耳を傾け反映させたか。 さらにめざすのは、参加者のその後の日常の生活の中で、科学的な話題が増え、ものを科 学的に考えることが増えるといったことが実現されることである。研究者側でも、自身の 研究が社会に及ぼす影響について考える機会が増え、場合によっては研究そのものへのヒ ントを得られるなど、その後の研究活動に変化が生じることもありうるだろう。

 科学研究のコミュニケーションは、注意しなければ従来型の広報とすり替えられ、宣伝 活動に堕ちていく。だが、広報とは英語でpublic relations。一方的な宣伝ではなく、社 会との関係を築くことだ。ハント博士はイベントから1年以上後にも、筆者からのメール の返信に“あの時”のことを嬉しそうに書いてくれる。ライブトークScience Edgeの若き ゲストたちは、「国際学会と変わらない」レベルの質問を受けることに驚き、参加者の素 朴な質問をきっかけに「何のために研究しているのか、という根本的な目的」を問い直し た、と語ってくれる。規模は小さく影響はささやかかもしれないが、研究者が参加者と同 じ目線で科学を考え人々の声に耳を傾けるとき、PURは実践され真のコミュニケーション は生まれていく。コミュニケーションが研究の成果普及に終わらず、研究プロセスの楽し さと意味を人々と共有するために行われるならば、社会における科学の位置は新しい次元 に入るといえるだろう。

長神風二(日本科学未来館 科学技術スペシャリスト)
E-mail:f-nagami@@miraikan.jst.go.jp
日本科学未来館ホームページ:http://www.miraikan.jst.go.jp


10月| 国立大学法人化から1年を経て

 国立大学法人化に対して日ごろ反対の立場でぶつぶつ言っていることを書けということ だが、本誌のような雑誌にきちんと書こうと思うと荷が重い。だいたい分というものもわ きまえなくてはなるまい。しかし、Cuvette委員からの執筆依頼の意図は、議論が起これ ばよいということだろうと理解して、この際あまり気にしないことにした。

●大学の自由度は増したのか

 「法人化」のキャッチフレーズは「自由度が増す」だった。しかし、実態はそう甘くは なかった。運営費交付金の削減によって、結局、ほとんどすべての国立大学法人で授業料 が引き上げられてしまった。財源でコントロールされれば、授業料ひとつ大学の裁量で決 められない。大学の自主・自律性の確保など、やっぱり怪しかったということが早くも明 らかになってしまった。  法人化推進の最大の根拠だった「定員削減」回避ですら怪しくなっている。法案の審議 当時、高等教育局長が「国家公務員としての定員削減がいやなら法人化」と主張し、大学 側も法人化やむなしの理由としてあげたのはこれだった。確かに法による「定員削減」は なくなったが、「人件費削減」という別の形での人員削減システムが確立された。文部科 学省は、教職員の削減は各大学が中期目標・計画に沿って、各大学の判断で「自主自律 的」にやっているとしている。大学からは、「約束が違う」と怒る声ではなく、効率化係 数による運営費交付金の削減状況の説明と、それによる教員削減の必要性が伝えられる。 授業料値上げの必要性と同じである。  運営費交付金の削減は、大学教員の教育・研究環境を直撃しているはずである。ある大 学のある学科では、学生実験の経費を一挙に30パーセント削減したという例も聞く。しか し、こうしたことが伝えられる一般教職員も、ない袖は触れない大学の状況を知れば、た いして文句も言わない。

●大学で進む「改革」の方向性

 7月27日付(*)で朝日新聞が「国立大学の8割は過去にどんな施設工事をしたかすら記 録していない」ことを報じた。「民間から会議に参加した専門家委員は、『普通の企業で はありえない』と指摘した」とも報じているが、あたりまえだろう。国立大学の幹部職員 は、2,3年ごとに文科省人事で動く「公務員」だったし、法人化後も今のところ事情は変 わっていない。現時点で民間と比較しようとするほうが間違っている。  大学で進む「改革」は、民営化のようなものではなく、助成金欲しさにどんどん箱もの を建設しつづけて、結局、財政破綻した「地方自治体化」のほうが近い気がする。予算獲 得のため、とにかく「使える」システムに無批判にどんどん対応していく状況がないだろ うか。法人化によって権限が強化された学長の多くは、「トップダウンの運営」が可能に なったことをあげて、法人化してよかったとしているようだ。悪名高い「教授会」に代表 される部局自治に阻まれて、何も変わらない、何も帰られなかった大学が、トップダウン で変えられるようになったということだ。良くも悪くも「マルチバーシティー(multiver- sity)」だった大学が、似非トップダウンの「地方自治体化」されていくように思える。 言い過ぎだろうか。

●今後への危惧

 大学構成員の側には、日々の競争圧力と「トップダウンの運営」により、自分のこと以 外は強いて考えないほうが、大学でうまく生きていけるようなシステムが定着しようとし ている。これまでもある程度はそうだったのだろうが、「法人化」によって加速された大 学の一番の変化はこれかもしれない。トップダウンの運営をきちんと評価していく力量が、 大学教職員の側に維持されていくのだろうか。  国立大学は「法人化」されてしまったし、さまざまな「改革」が進んでいく。任期制の 大幅な導入や、成果主義の導入も検討されている。これらの動きに対してほとんど声が上 がらない大学の状況は不気味であり、将来が危惧される。評価圧力におびえつつ、なにも 私が目立たなくても、と思いながらも「反対」なのである。 渡邉信久(北海道大学大学院理学研究科) E-mail:nobuhisa@@sci.hokudai.ac.jp


11月| 大学院における英語教育の問題点 
一大学院生の立場から

  生命科学系の研究の世界においては(もちろんほかの多くの研究分野でも)英語が基本 言語である。われわれは多くの場合、英語で書かれた論文を読み、英語で論文を書く。ま た、近年、コミュニケーション手段としての英語の重要性が認識されてきたためか、国内 の学会においても原則的に英語を使用する学会が増えてきている。しかしながら、必ずし もすべてがうまくいっているわけではないようだ。なかには、参加者の英語のレベルが十 分でないために議論に時間がかかってしまい、「ほとんど日本人しかいないのだから日本 語でやったほうがよかったのでは」と思われるような事例もある。このような事態を改善 するためには、もちろん個々人の努力が必要であることはいうまでもないが、大学院での 教育などを通じたシステムでの取り組みが必要なのではないか。  日本の英語教育の現状では、中学校から高校までの間で(とくに会話において)十分な 英語力が身に付くことはまれで、大学においても英語の授業はあるが、研究の世界で十分 に通用するレベルではないことが多いようである。そのため、本来であれば大学院で研究 に必要とされる英語を体系的に習得しなければならないのであるが、その体制は整ってい るとは言いがたいのではないか。もちろん、独自の英語教育のカリキュラムを持つ大学院 もある。しかしながら全体的な傾向としては、所属研究室での指導にまかされている部分 が大きく、研究科や専攻単位での統一したプログラムを実施しているところは多くないよ うである。確かに従前のような教育を続けていても、一部の大学院生はもともと十分な英 語のスキルをもっていたり、あるいは自助努力によって英語力を向上させて生き残ってい けるであろう。また、所属研究室によってはセミナーを英語で行っていたり、あるいは一 部の研究室・専攻では体系的な英語教育が行われていたりする。  しかしながら、あくまで少数の例をもとにした個人的見解ではあるが、現場の感覚とし ては日本人研究者の英語のレベルはまだまだ国際学会での議論に十分耐えうる水準にまで は達していない。具体的には、速いスピードの会話についていけない、各国それぞれに訛 った英語をうまく聞き取れない、専門分野以外の話題も飛び交う食事のときの会話につい ていけない、といったことが多いように思われる。  では、具体的にどのようにすれば、日本人研究者の英語力を向上させることができるの だろうか。大学学部までの教育も重要ではあるが、やはり大学院における研究者という職 種に適した対策が必要ではないか。実際、一部の大学院においてはすでに取り組みが始ま っている。とくに最近新たに設立された研究科では、実験や研究発表に必須となる英語お よび英語での発表の仕方・聞き方などを体系的に教える授業や、少人数での英会話の実践 的な訓練などがすでに始まっている。こうした試みが多くの大学院に広まっていけば、現 状を飛躍的に変えうるだろう。たとえば、研究科単位で英語専任の教官を配置するなどと いったことは一考に値するのではないか。Ph.D.を保有するnative speaker(あるいは母国 語でなくとも英語をきわめて流暢に話せる人材)は相当数いるであろうし、こうした人た ちを雇用するコストが教授1人を雇用するよりはるかに高いということはないだろう。ま た、このようなカリキュラムを実践している大学院においては、追跡調査を行ったうえで、 その成果を広く世の中に公表すれば、より効果的な対策がとりやすくなるだろう。  最後に、筆者の個人的な経験から、より多くの大学院生が国際学会に参加できるような 環境を、とくに財政的な面から整えることを提案したい。海外で数日間にわたって英語で (日本人どうしではなるべく話さずに)研究に関する会話をするだけでもかなりの効果が ある。単なる観光旅行ではあまり意味を成さない。学んだ英語の実践の場は真剣勝負であ ればあるほど得るものが大きいはずだ。 市原優二 E-mail:cuvette0511@@yahoo.co.jp


12月| 大学問題の“失われた10年”

―20世紀型科学の終焉とノンアカデミック・キャリアパス―

 1990年代、日本では失われた10年といわれているあいだ、世界では市場の統合、いわゆ るグローバリゼーションが急速に進んでいた。研究開発の部分でも例外ではなく、研究者 の流動性が高まり国境をこえて研究開発が行われることがめずらしくなくなってきた。し かし、その状況下にあって日本は、人口あたりでみた博士号保持者の数が少なく(とくに 理学博士が少ない)、また取得基準もはっきりせず、資格としての水準が計りがたいとい う問題が米国などから提示されていた。しかも、欧米で有名な研究所は大学などの公的な 機関であったが、日本では重要な研究は企業の所有する私設研究所で行なわれることが多 く、透明性が低いということも問題にされた。そのため、基準の国際化や博士号保持率の 増大と大学の研究開発能力の底上げがめざされたのが、科学技術基本法や大学院重点化と いった政策であった。  同じく、欧米では博士の就職先としてベンチャーやNGOが急速に発達した。このことに は、増大を続けていた研究職の頭打ちという事情も関係している。どんな企業でも、ヒラ の労働者より管理者のほうが人数が少ない。ふつうの企業であれば昇進できない人が現わ れたり、出向という形で対処されたりする。ところが、人口比でみた研究者の数は20世紀 をとおしてふえ続けていたため、特別な事情がないかぎり多くの大学院生は次のステップ である常勤研究者に進むことができた(また、それが保障されていたからこその「高学 歴」であったともいえる)。ところが、研究者数の増加が頭打ちになってみると、若手研 究者の処遇は大きな問題になる。平社員に相当する大学院生にとどまっていては食ってい けないし、ポスドクのような職には任期が厳しく設定されていたからである。そこで、活 路を求めた若手研究者たちがベンチャーやNGOに進出した。また、この方向性をおおむね 予見していた大学は、院生のノンアカデミック・キャリアパスの支援として、たとえば理 学博士号と経営学修士号の両方の資格を取ることを推奨するなど、積極的な方策をとった。 この大学当局の対応の早さも、日本との大きな違いであろう。  研究者人口の拡大が頭打ちになったという事情は世界共通のものであり、米国でも定員 が埋まっているため、優秀な若手にテニュア(終身在職資格)を出せない、という問題が 聞かれるようになった。しかし、余剰の院生を社会の必要なセクターに割り振るシステム の設計が遅れたのは、日本の特殊事情である。近年、展望もなく博士をふやしたとして大 学院の重点化が問題であったと非難されることが多いが、経緯を考えると、実際は大学と 改革を進めた政府サイドのコミュニケーション不足であり、ひいては、21世紀において望 まれる大学像についての社会的な議論が不足していたのが本当の問題であったと考えるべ きである。ただ、この点に関して言えば、近年単なる研究開発ではなく、その社会的な意 義を考えるための研究に予算が下りるようになっていたり、大学院ベンチャーや科学コミ ュニケーターといったノンアカデミック・キャリアパスのための制度が整いつつあるなど、 それなりの措置は進んでいる。  もちろん、スペシャリストを好む欧米型組織と違って、ジェネラリストを好む日本企業 に「博士」が直接受け入れられる余地は大きくないかもしれない。しかし、おのずからス ペシャリストが求められるような、シンクタンク、ベンチャーやNPOといった領域には今 後も延びる余地があるし、そういった領域を伸ばすことが若手の研究者だけではなく、日 本社会の利益にもなることを訴えていくことは必要であろう。  今後の課題としては、国連からも環境の未整備が指摘されたリカレント教育の充実など で、より大学と社会の垣根を壊していくことが重要であろう。日本では社会人枠の位置づ けが不明確だが、本来のリカレント教育は、キャリアの適切な時期にそのとき必要なスキ ルを学べるサポート体制が整っているかということであろう。  いずれにしても、社会との接点をどうつくるかということに関する、若手研究者や彼ら を指導する教員たち自身の意識改革が必要とされてもいるということでもある。 ・本原稿にはクリエイティヴ・コモンズ・ライセンスが適応されています。 帰属-非営利-派生禁止2.1日本 http://creativecommons.org/licenses/by-nc-nd/2.1/jp/ 春日 匠 (NPO法人サイエンス・コミュニケーション) E-mail:skasuga@@talktank.net