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2006年

1月| 現場への実力主義の導入を改めて要望する

 筆者はある独立行政法人の生物関連の研究所に勤めているが、身のまわりに”この人、 なんで研究者になったんだ? 研究やっていて面白いのか?”と疑問に思ってしまう研究 者(しかも、助手クラス以上)が目に付く。とにかく、彼らが研究所にいることが場違い であるように思えるし、仕事をしているのがつらそうなのである。
 彼らの症状は、具体的には以下のとおりである。

・自分で研究を進められない:とにかく研究のアイデアを自分で考えられない。研究テー マはポスドクと学生に任せきり。たまに何か言い出したかと思うと、“モデル生物でわか りきった遺伝子をマイナーな生物でクローニングして再確認する”といった、どうでもい いような研究テーマだったりする。
・自分の研究テーマを理解していない:知識がないので、ゼミではトンチンカンな発言し かしない。当然、普段も学生に指導することができない。
・研究からの逃避:”論文出すだけが研究者ではない”と開き直って、研究関連の仕事を まったくしなくなる。あるいは研究しているふりをして遊んでばかりいるので、論文はぜ んぜん出なくなる。そのうちに何かと理由をつけて研究室に来なくなってしまう。そのく せ、研究と関係ない学内政治関連イベントでは張り切っている。

 学生やポスドクにとっては迷惑このうえなく、本人にしてもストレスがたまるだけで、 毎日仕事をしていて面白いのかどうか、見ているほうが気をもんでしまう。彼らはつくべ き職業を間違えたとしか思えないのだが、いったいどこで道を間違ってしまったのか。  彼らの過去を調べてみると、キャリアの最初から適性がなかったわけではなく、院生、 ポスドク時代は高い奨学金をもらい、一流誌に論文を連発して、それなりの実績はあった らしい。ところがポジションを得たとたん、鳴かず飛ばずになってしまい、現状に至って いるのである。
 この原因は彼らが、”与えられたことをこなしているのが楽しいだけなのに、たまたま 与えられたテーマが大当たりして自分の才能を勘違いしてしまい、間違えて研究者になっ た人々”であることではないだろうか。
 研究者、とくに自分の研究室を率いていく地位にある人々が、ただ言われたことを一生 懸命やっているだけとか、ましてや研究室に来てボーっとしているだけというのは論外で ある。興味深く、重要で、ユニークな問題を自分で見つける努力を続け、その問題を解決 することが楽しくてしょうがない、という積極性のない者が研究職についていても仕事上 すぐに行き詰まるだけである。それなのに、終身雇用に守られて不適任者が研究室の上層 部を占めているという現実は、学生、ポスドク、本人にとって害であるだけでなく、納税 者も怒りを覚えることであろう。
 彼らはどうして高い地位についていられるのか。雇用の仕組みに不具合があることが原 因であろう。研究者に向いている人とそうでない人の違いを見抜けない研究機関の採用シ ステムに大いに改善の余地があると思うし、PIの地位についてみたけれど適性がなかっ た者をやめさせる仕組みが機能的にはたらいていないのも問題である。
 筆者個人の意見としては、この問題の解決に斬新な解決策はとくに必要ない。PIは数年 に1回は審査を受ける。実績が不十分な場合や、ましてや研究からの逃避が見られる場合 は後進に席を譲る、という当たり前の方法がとられていれば、問題は解決するのではない だろうか。大学や研究機関に実力主義を取り入れようとするたび、”学問の自由の侵害だ “という声が出て案はつぶされてきた。しかし、やる気も能力もない者を研究機関におき、 予算を浪費させ、学生の指導をいい加減にさせることで学問の進展を阻むことも、十分に 学問の自由の侵害であろう。現場に実力主義を導入することを、国や独立法人は改めて検 討していただきたい。

堀川博進
E-mail:horihori@@compass.jp


2月| 若手研究者の能力を引き出す科学コミュニケーション

 研究者を目指す学生の多くは、生き物の持つ不思議さ・精巧さに感動し、研究に憧れを 抱いて大学院へと進学しただろう。しかし、ポストポスドク問題や大学院生の経済支援縮 小など、現在、若手研究者を悩ます問題は数多い。これらの問題を目前に、初心を顧みる 余裕もなく、実験に忙殺される日々をおくる大学院生も多いのではないだろうか?博士号 取得には論文が、論文執筆には実験データが必要である。実験データを得るための日々の 努力はもちろん必要不可欠であるが、博士という研究者の証を得るためには“おもしろい と思える研究テーマを自ら見いだす能力”が重要である。その能力を眠らせてしまっては いないだろうか?
 近年、専門家が一般市民へ科学を紹介することの重要性が認められてきた。社会のなか で本当に必要な科学を育てていくためには、一般市民と専門家との双方向の科学コミュニ ケーションが必要だからである。しかし、重要性はそれだけではない。私たち若手研究者、 とくに大学院生が科学コミュニケーションに携わることは、大学院生自身の眠れる能力を ひき出すよいきっかけとなるのである。
 ひとつ想像して欲しい。一般の人々に研究内容を紹介する時、どのような心構えをする だろうか?まずは、興味をもってもらうために、受け手が何をおもしろいと感じてくれる のかを考えるだろう。そして、そのためには、まず自分が何をおもしろいと感じていたの かを再認識するだろう。次に、そのおもしろさをより明確に伝えるため、自分の研究テー マを一般的にかみ砕いて見つめ直すだろう。これだけで、研究に憧れを抱いていた初心を 少し思い出さないだろうか?
 さらに、実際に一般の人々とコミュニケーションをとると3つの反応が返ってくる。1 つ目は、受け手がおもしろさを共有してくれる場合。2つ目は、受け手に疑問を投げかけ られる場合である。1つ目では、感動を共有した充実感が得られるとともに、日々の研究 へのモチベーションも上がるだろう。2つ目では、自分の理解が不十分だった点や、新た な考え方を知ることができるだろう。どちらも自分の研究に取ってプラスになることであ る。しかし、3つ目の反応として、受け手に自分の研究意義を否定される場合もある。自 分のライフワークでもある研究を否定されると、腹が立つこともあるかもしれない。しか し、そこは自分と受け手の理解のギャップを考察し、また、そのギャップを埋めて、おも しろさを伝える手段を試行錯誤するべきである。その結果、前述の2つのポジティブな結 果が新たに生まれてくるであろう。
 このように、一般市民との科学コミュニケーションの実践は、専門家を目指す大学院生 にとっても大きな利益となる。実際に「ゲノムひろば」(http://www2.convention.co.jp/hirobag/) のような、一般市民との対話を重視した、科学コミュニケーションイベントに参加する機 会が増えれば良いのだが、身近なところからも実践することはできる。異分野の研究室の 人や、大学ならば学部生に、自分の研究紹介を行えばよいのだ。このような経験は、前述 の効果が得られるだけでなく、科学コミュニケーションを意識する機会にもなりうる。
 指導者によっては、科学コミュニケーションに割く時間を惜しむ人もいるかもしれない。 しかし、科学コミュニケーションに携わることは、大学院生が研究意義を再認識し、モチ ベーションを上げるよいきっかけとなる。研究の本質を理解しながら意欲的に実験を行え ば、より効率的に実験結果を出すことができる。また、データの偽造や改竄などといった 研究モラルに反する行動も生まれないだろう。ポスドク1万人計画・大学院重点化による “大学院生の質の低下”が騒がれるいま、大学院生には研究意欲とプロ意識を磨くことが 重要である。研究への正しい姿勢を再認識させるといった倫理教育の面からも、科学コミ ュニケーションの実践は、意識改革を行うよいきっかけとなるだろう。

白井哲哉(京都大学大学院 生命科学研究科 高次生命科学専攻 生命文化学分野)
E-mail:tshirai@@lif.kyoto-u.ac.jp
研究室ホームページ:http://www.zinbun.kyoto-u.ac.jp/~kato/


3月| 日本の若い研究者教育の抜本的改善点(1)

院生が院生を指導することの一例

 これから3回にわたって、日本の若い研究者教育の抜本的改善点について意見を述べた い。
 学生の教育と聞くと、曲がりなりにも大学の教員という教育職に身をゆだねる者にとっ ては、いろいろと考えるところがある。今回、テーマとして取り上げるのは、院生が院生 を教えることについてである。
 昔気質の教員にとっては、「教育は教員がするものであり、学生が学生を教えるなどあ りえない」と言われるかもしれない。しかし、どこの研究室でも、先輩が後輩を手取り足 取り指導するという「徒弟制」的なものはあったのではなかろうか。最近では、学生は上 品になったのか、先輩から学ぼうとはしないでインターネットから学ぼうとするようであ る。昨今導入されているTA制度は、オフィシャルに学生が学生を教えなさいというものだ が、十分に機能しているかどうかは疑問が残る。本稿では、筆者が大学院時代に体験した ことを書きとめてみるが、機能するTA制度のひとつとして読んでほしい。
 30年前、筆者は米国の大学院に留学し、ユダヤ人が創立した東部の小規模の大学で2年 間を過ごした。ここの生化学教室は学部を持たない大学院で、Graduate Department of Biochemistryとよばれた。そこで生化学を主専攻とする大学院生(同級生)は7人だけで あった。少人数教育を実践し、生化学の講義は、酵素学を中心に1年間かけて行なわれた。 毎朝9時から1時間の講義があり、各学期には中間・期末試験、生化学専攻の大学院生だけ は期末試験のとき面接試験も課せられていた。
 講義は3名の教員が担当されたが、さぞ大変だったと思う。W.P.Jencks博士はJ.Am.Chen. Soc.誌、R.H. Abeles博士はBiochemistry誌という代表的な学術雑誌の編集委員をしてお り、学外講演もたくさんあったが、教育にかける情熱はさすがであった。ただし、水曜日 は彼ら教員がお休みであった。そこで、上級生がチューターとして登場し、院生教育に貢 献することになる。チューターはクイズという小テストを行なうが、その点数は授業評価 に加えられるので、われわれはかなり真剣に勉強した。小テストでは、誰が何を理解して いないのかがわかり、チューターはわからなかった点を解説してくれる。
 ここで、ひとつふれておきたいのだか、Jencks博士やAbeles博士はただ者ではない。授 業そのものが違うのである。まず、講義のはじめに黒板の端に10編ほどの論文のリストが 板書される。講義内容は論文を忠実にフォローするのではない。たとえば、アイソトープ 効果を説明する場合には、それに関する代表的な論文のもっとも美しい例が引用される、 という具合である。教科書の内容は10年は古いため(その当時は出版技術もデジタル化さ れておらず、何でも時間がかかった)、論文が生きた教材として用いられたのである。  こうしたハイレベルな教育と大学院生のギャップを埋めるためには、絶対にチューター が必要であった。昔、大学に入ると、教養部では高校までの“教科書に書かれていること は正しい”という頭の構造を破壊して、物事の原理(真理)を探求する頭の構造になるよ うに仕向けられたが、それに酷似していることを大学院で実践したのだと思う。授業のあ と、競って図書館に行き、論文を読み漁ったことは言うまでもないが、それで論文が真に 意図するところを理解できたわけではない。大学院1年生にとって、論文をいかに読みこ なすかを教えてくれたのがチューターである。このあたりが、米国の(トップクラスの) 研究者育成の見えざる部分なのかもしれない。もちろん、チューターたる者も勉強せざる を得ず、これぞ一流の学者となるべき訓練なのかと思った。ちなみに、チューターも同級 生も午後から真夜中まで研究に勤しんだのは言うまでもない。
 次回は院生が学部生を教えることについてふれてみたい。

植野洋志(奈良女子大学生活環境学部)
E-mail:hueno@@cc.nara-wu.ac.jp


4月| 日本の若い研究者教育の抜本的改善点(2)

院生が学部生を指導することの一例

 前回は院生が院生を指導することの一例をあげたが、今回は大学院生が学部生を指導す る例について述べる。
 大学院生が学部生を教育するシステムとして、わが国ではティーチングアシスタント(T A)制度がある。筆者は、2つの国立大学でTA制度をみてきたが、自身が体験した米国でのT A制度とはおおいに異なっていたので、ここでは筆者の体験を紹介してみたい。
 筆者は、米国Brandeis大学大学院を修了し、さらに、中西部のIowa State大学大学院 に入学した。1970年代半ばであったが、州立大学では当時からTAやリサーチアシスタント (RA)の制度が整っていた。これらの制度は大学院生を対象としたものであるが、それぞ れの専攻でようすは異なっていたと記憶している。たとえば、化学専攻ではRAが少なく、 ほとんどの大学院生はTAであった。しかし、生化学専攻ではほとんどがRAであった。ただ し、生化学専攻では、TAは学位取得のための必要な要件として組込まれていた。Cumとい う試験に合格すると博士号取得に向けての研究活動が許されるが、その時期にTAを2学期 間することが課せられていたのである。
 筆者の場合、獣医学部の「生化学」と家政学部の「生化学実験」を担当した。獣医学部 も家政学部も、全米で最初に創設された歴史ある学部である。獣医学部の「生化学」は、 講義と実験実習が組み合わされたもので、担当の教授が主として講義するが、TAも講義を 1回課せられ、クイズなどの小テストの作成と採点、実験の準備と指導を行なった。実験 は受講生が結果を出せるように、試薬・機器類の確認から予備実験に至るまで入念に行な った。家政学部の「生化学実験」は女子学生が相手で、TAの割り当てでは羨ましがられる ものであった。実際の実習では酵素の反応速度論的解析などを行なったが、予備実験をし たおかげで、酵素の量や基質の濃度範囲など、的確な指導を行なえたのを記憶している。
 さらに、TAをすることで学生が犯す実験手技上の問題点などを理解でき、それ以降、研 究室で下級生を指導する際におおいに役立った。自分の研究だけでなく、下級生を指導す る事で、他人の抱える問題点を発見できるように、また、実験手技上のさまざまな問題パ ターンを把握できるようになる。この結果、将来的に自身が研究リーダーになった際、研 究チームを率いていくためのシミュレーションができる。研究室を運営できる能力を持っ た研究者を育成するために、博士号取得の条件としてTA制度の履修を義務付けたのであろ う。
 ちなみに、TA制度は、給料(だいたい、ポストドクの半分)の支給があるだけでなく、 TAとしての単位認定がなされ、成績表に表れるようにもなっているのである。この点は、 日本の制度とは異なるようである。さらに、年度末にはBest TA Awardというものがあり、 TAとしての評価を学生と担当教授より受け、その年で一番良いTAが表彰されるのである。 Best TA Awardの制度は、学生にTAに対するモチベーションを与えるよい企画であったと 思う。
 ここまで述べてきたように、TAを経験することで得るものは貴重である。TA制度は日本 でも一部の大学や大学院では取り入れがはじまっているようであるが、全体からするとま だまだ少数派のように思われる。今回述べたように、TAをすることで自分の実験技術を向 上させたり、将来、指導的立場になったときの学生の指導方法を学習したりしながら、自 分の研究を行なうだけでは得られない、一人前の科学者になるための訓練をつむことがで きるのである。できれば、日本でもTA制度をなんらかの形で履修単位として義務付けるこ とが、将来、大学の教員となるような人材育成には必要ではないだろうか。

植野洋志(奈良女子大学生活環境学部)
E-mail:hueno@@cc.nara-wu.ac.jp


5月| 日本の若い研究者教育の抜本的改善点(3)

学習システムの改善

 前回、前々回と教育における大学院生のありかたについて回顧録調に書いてきたが、今 回は少し角度を変えて、学生の教育に対する姿勢について意見し、その解決策の例を示し たい。
昨今、理科離れ、学力低下が叫ばれて久しい。筆者は、奈良女子大学附属中等教育学校 (中高6年一貫教育校)の校長をしており、この問題の矢面にいる。
 30年前に比べて現在では、教科書が数倍に膨れ上がっており、学生はその内容を学習す るのに四苦八苦しているようである。さらに、理系・文系として教育されてきたので、 オールラウンドな基礎力が欠如している。よって膨大な現象の理解を要求される生物系の 内容を消化できないでいるのであろう。教える方の教授陣も過酷である。30年前と同じ時 間数で、数倍の内容を教えねばならないからである。授業が「百科辞典を読むがごとし」 となってしまうのはやむをえない状態である。文字を追っているだけで、どの部分がより 重要なのか、つまり、何が授業のポイントであるのかがわからないままになっている感が ある。
 さらに問題なのは、学生にも教授陣にも時間的余裕がないことである。学生はゲームや アルバイト三昧で、日々の授業の復習などは試験前までしない(昔の学生も一緒かな?)。 教授陣はというと、学内外の会議、学会や研究会への参加、そのほか山のような仕事を抱 えており、さらに、小講座制から大講座制へと移行しても小講座制のころのようにスタッ フがたくさん揃っているときと同じ雑用をこなさねばならず、十分に講義の準備ができず にいる。また、国立大学法人化にともなって研究費が激減しており、これが教員のやる気 を喪失させることを助長している。このようなことで満足のいく教育が本当にできている のであろうか。
 ここで取り上げる教育とは、研究者の育成をめざすものである。そのためには、百科辞 典を頭の中にたたきこむのではなく、「なぜ?」という疑問を持ち、それに答えるために 勉学する心(姿勢)をもたせることが必要である。「教科書に書かれていることが正し い」式の初等教育・中等教育をうけてきた新入生をそのまま育てては、教科書至上主義か ら抜けきらないで終わってしまう。できるだけ早い時期にこれを脱皮させねばならない。 旧制高等学校や今は廃止された教養部などは、脱皮を促す意味で有益であった。将来ノー ベル賞を目指すためには、教科書を書き換えるほどの研究成果が要求されるが、これはど れほど自由な発想ができる人材を育成できるかにかかっている。
 それでは、どのような解決策があるのだろうか。筆者の所属する大学では、問題の発見 につながる、いわゆる「ここがこの分野の味噌である」という講義に時間を割きたいので、 背景になる知識を詰め込む式のことはe-Learningで行うよう24時間学習システムを設置し ている。これは、インターネットによる学習システムである。授業では説明できない事項 の解説や授業の復習ができるように講義ノートをPower Point形式で貼りつけ、学生はこ れを随時閲覧できるようになっている。質疑応答用にメールや掲示板もあり、オフィスア ワーを設定できる。用語集、模擬試験、本試験などもそろっている。学生は、アルバイト から帰宅後でもインターネットでメールをチェックしながら復習できるし、教授陣は出張 先でも学生のレポートや質問に対応できる。このシステムの導入後、学生の基礎力は飛躍 的に上昇し、講義では百科辞典を板書するような授業をしなくてもよくなった。しかし、 インターネットを自宅でできない(しない)学生にとってはこのシステムは無力である。 また、パソコンを使えない教授陣にとっても役に立たないシステムではある。
 筆者の大学では、パソコン設備を充実させ、教材作成に対する補助員の派遣なども行っ ている。e-Learningは万能ではないが、教育についての考え方を変えるよい機会ではある。 おのおのの教育機関の目的にあった有効な活用法を見出し、人材育成に役立ててはいかが だろうか。

植野洋志(奈良女子大学生活環境学部)
E-mail:hueno@@cc.nara-wu.ac.jp


6月| 研究室の選び方

 そろそろ夏の院試シーズンにむけて、学生が大学院の研究室を訪問する時期がはじまる ころだ。筆者は研究室を訪れる学生の相手をしながらいろいろな問い合わせに答えてきた が、よくされる質問の中に、「研究室をどうやって決めたらよいか、よくわからない」と いうものがある。研究室を決める基準は人それぞれだと思うが、そのひとつを紹介してみ たい。
 大学院で所属する研究室を選ぶにあたって、最低限、満たさなければならないと筆者が 考える基準は、「ほぼすべての院生(博士課程は必須、できれば修士課程も)が査読つき の論文誌に第一著者で論文を載せている」というものである。この基準を満たしている研 究室かどうかを調べるには、研究室のWebサイトの業績集、または、Pubmed経由でその研 究室から出された論文を検索し、第一著者が院生になっているかどうかを確認すればよい。  では、なぜこのような基準を紹介するのか。それは、この基準を満たしている研究室な ら、院生が研究を進めて論文としてまとめられる最低限の環境はそろっていると考えられ るし、また、論文を出すために必要な教育も受けることができる可能性が高いからである。 別の表現をするならば、院生を募集している研究室のなかには、研究を進めるような環境 が整っているとはお世辞にも言いがたいハズレ研究室があり、そのような研究室は避けな ければならないからである。
 「自分の興味ある研究テーマで研究室を選ぶべきではないのか」「業績が出せるかどう かで研究室を選ぶのは即物的ではないか」との意見が出そうだが、研究テーマだけで研究 室を選んでしまうと、前述のハズレ研究室を選んで大学院生活を台無しにしてしまう可能 性が大きくなってしまう。そのため筆者は、研究テーマの面白さで研究室を選ぶことは二 の次であると考えている。もちろん、研究テーマが自分の興味と合致し、かつ、業績を出 せそうな研究室があったらそこにいくのがベストである。
 ここでいうハズレ研究室とは、院生を引き込むために客寄せ用の面白そうな研究テーマ を掲げ、実際には論文になりそうもないテーマを無理やり与える研究室、あるいは、アカ デミックハラスメントやパワーハラスメントが普段から横行する研究室などをさす。残念 なことに、このような院生の墓場といえる研究室は確実に存在する。どんなに優秀な院生 でも研究を進めるのがむずかしい研究室に所属してしまえば、大学院修了のための条件を クリアするのは非常にむずかしいのではないか。実際、そのような研究室に所属してしま ったために業績を出せず、中退を余儀なくされた、あるいはオーバードクターを繰り返す 羽目になってしまった同級生を筆者も何人か知っている。その院生たちは能力的にはほか の研究室の院生に劣っているようにはみえなかったため、まともな研究室に所属していれ ば、ちゃんと学位を取得し、それなりの業績を出すことができた可能性は十分にあったわ けで、本人たちもさぞ無念であったことであろう。ハズレ研究室では院生が論文を書いて いることが少ないので、研究室の業績集と研究室メンバーを照らし合わせてみて、とくに 博士課程の学生が論文を書いているかどうかを確認するとよい。
 もし、興味がある分野に業績ある研究室がなかった場合は、とりあえず似たようなテー マで業績を出している研究室に行き、業績をある程度出してポスドクになってから自分が 興味あるテーマに移っていくことを勧めている。
 今回は、ハズレくじを引かないための指針として、業績から所属先の研究室を選ぶ、と いう選択基準についてコメントしてみた。研究室を選ぶ基準はほかにもいろいろあるだろ うが、最低限、研究を進められる環境が整っている研究室を選ぶためにも、今回取り上げ た基準を研究室選択の前に考慮してほしいと願うしだいである。

吉川忠明 (東京在住・大学院生)
E-mail:vefetgh@@hotmail.co.jp


7月| 全国規模の“若い頭脳のネットワークの形成”を目指して

~生化学若い研究者の会「夏の学校」の試み~

 日々研究室にこもって研究を続けていると、自分の研究分野にはくわしくなれますが、 ほかの分野の話になるとくわしい内容についてはなかなか知らないことが多くなってしま います。実際、科学技術が進歩するにしたがって生命科学も進歩し、研究分野はますます 細分化され、報告される論文の数も増えています。このような現状のなかで、論文で報告 されるさまざまな分野の最近の情報を一人で逐次把握していくとなると、膨大な時間が必 要となり、実際にそれを実行するのはむずかしいのではないかと感じられます。それでは、 どうすれば生命科学の研究者は自分の専門分野以外の知識を効率よく得ることができるの でしょうか?
 たとえば筆者自身の場合、「バイオインフォマティクス」という研究分野を最初はまっ たく別世界の人が研究している分野というような見方をしていました。しかし、実際にそ の分野で研究をしている知人からその価値や方法についてくわしく教えてもらうと、自分 の研究分野にも有用であることがわかり、一気に世界が広がった気がしました。このよう に、知らない学問分野に出会ったとき、実際にその分野を専攻している知人がいると非常 に知識を得やすいと思います。素直に教えてもらえるし、気軽に質問もできます。また、 その分野が身近に感じられるようになることが非常に貴重です。そのうえ、狭い研究分野 にばかり閉じこもりがちな研究者の知識の枠を広げ、研究するうえでブレークスルーを生 み出しやすくなるのではないでしょうか。したがって、もっと研究者間でつながりを持っ て情報の共有ができれば、生命科学の幅広い理解の実現が容易に可能になると思います。  生化学若い研究者の会は、「若い頭脳のネットワークの形成」をスローガンに、研究者 が知識の共有をはかり、分野をこえて生命科学を幅広く理解することを目的として、セミ ナーや勉強会・交流会などを開催し活動を続けている大学院生を中心とした団体です。そ の生化学若い研究者の会の年に一度の一大イベントが「夏の学校」であり、研究者を目指 す大学院生をはじめ、学部生、ポスドク、企業の研究員まで、全国各地から毎年100人 以上が参加しています。「夏の学校」では研究者間のネットワークを促進するために参加 者が互いの研究内容を紹介しあう研究交流会を開催するほか、夜には参加者全員が集う懇 親会も充実させており、互いに語り合い、ディスカッションすることで交流を深められる よう企画しています。また、合宿という形式をとることによって、単なる顔見知りという レベルでは終わらない研究仲間を作ることを目指しています。
 そんな「夏の学校」を,今年(*)は8月18日(金)~20日 (日)の3日間、東京大学本郷キ ャンパスにて開催します。生命科学のさまざまな分野で研究をされている先生方を講師と してお招きし、その分野の基礎から最先端までの研究を話していただくワークショップも 用意しています。最新の情報や詳細については,生化学若い研究者の会のホームページ (http://www.seikawakate.org)をご覧ください.あなたもこの機会に全国規模の若い研 究者のネットワークを構築し,科学の視野を広げてみませんか?

村田貴朗(生化学若い研究者の会 第46回夏の学校実行委員長)
E-mail:tmurata@@pri.kyoto-u.ac.jp


8月| あなたの研究の意義は?

 研究を進めていると、「あなたの研究は何がすごいのですか?」と質問される場面があ る。そんなときに、自分の研究についてうまく説明でき、専門外のかたにも研究の意義を 理解してもらえると、仕事を続けてきてよかった、とうれしくなる。今回、研究の意義に ついて思うところがあるので述べてみたい。
 一般に、研究は応用研究と基礎研究の2つのカテゴリーに分類されることが多い。筆者 は、その定義を次のようにしている。すなわち、応用研究とは、製薬やバイオテクノロ ジーなどに応用され産業の振興に役立つ研究であり、基礎研究とは、短期的には産業の発 展には寄与しないが長期的には新しい技術の種になる研究、あるいは、人々の知的好奇心 を満足させるエンターテイメントとして機能する研究としている。言い換えれば、応用で も基礎でも、なんらかの形で社会に貢献している必要があると考えている。ここで「社会 に貢献」という言葉を使ったのは、大学や独立行政法人での研究予算の大部分は国民の税 金から捻出されているからだ。ただでさえ赤字の国家予算を一研究室で年間何百万から何 億円も使うからには、なんらかの形でその成果が社会に還元されなければ、費用を払う国 民としては納得がいかないのは当然のことだろう。
 ところが、この研究の条件を満たさずに仕事をしている方々がいるのである。以前、あ る研究者が自身の研究内容について説明してくれたのだが、何がおもしろいのかさっぱり わからなかったことがあった。たとえるなら、「オタクから超マニアックなうんちくをな がながと聞かされ、話についていけずに唖然としている」という場面である。そこで筆者 は「この研究の意義をわかりやすく教えてください」と質問してみた。すると「どんな意 義があるかわからないから研究をする」「意義については実験結果が出てから考える」と いう答えが返ってきて、あきれたことがある。
 「どんな意義があるかわからないから」というのは研究を進める動機として不適切であ ろう。なぜなら、意義があるのかどうか不明な現象は世の中に山ほどあるので、とくにこ の研究に予算を割く必要性を感じないからである。また、結果が出てから研究の意義を考 えているようではその本質をとらえることはむずかしいだろう。研究の意義を満たすため にはどのような結果が出ればいいかという予想があるから、結果から意味のある解釈をひ き出せるのだと思う。他人と違う研究をしてさえいれば独創性があると評価してもらえる と思ったら大間違いである。どうやらこの人は税金を使って自分のマニアックな趣味を追 求しているらしい。
 この場合ほどひどくはなくても、はたして意義があるのかどうか怪しい二番煎じや落穂 拾い的な研究を進めている、あるいは、評価が高いのは同じような研究テーマをもつ研究 者のあいだだけ、という場合は結構あるのではないだろうか。
 研究者、とくに高い地位にいる人や多くの予算を得ている人は、自分の研究が社会に対 してどのように貢献しているかの説明責任を果たさなくてはならないだろう。応用研究で あれ基礎研究であれ、その意義について社会からの理解が得られないようでは、税金を使 って遊んでいると非難されても仕方がない。近年、科学コミュニケーションが注目をあび ているのも、研究の意義を社会にわかりやすく説明する必要性が高くなっていることの現 われであろう。先日、わが国の科学技術予算を5カ年計画で増やすというニュースが流れ たが、このせっかく増えた予算が「個人の趣味の追求」に使われないことを祈る。

吉川忠明 (東京在住・大学院生)
E-mail:vefetgh@@hotmail.co.jp


9月|  大学院生,科学技術コミュニケーションを学ぶ(1)

東京大学科学技術インタープリター養成プログラム

 昨今,”科学技術コミュニケーション”とよばれる取り組みが話題となっています.2005 年からは,5つの大学(東京大学,お茶の水女子大学,北海道大学,早稲田大学,大阪大 学)で科学技術コミュニケーターを養成するプログラムがはじまりました.今月から5回 にわたり,各大学のプログラム受講生に,プログラムの特徴と役割,自らのキャリアプラ ンを一人称で伝えてもらいます.第1回は,東京大学の”科学技術インタープリター養成プ ログラム”です.

●副専攻としてのインタープリター

 ”科学技術インタープリター養成プログラム”は,2005年10月にはじまった東京大学の大 学院生を対象とする1年半の教育プログラムである.インタープリターとは翻訳者や解釈 者を意味し,科学技術の現場と一般社会とを結ぶ人材の育成を目的としている.このプロ グラムの特徴は,当初からその著名な講師陣にあるといわれてきた.研究者,ジャーナリ スト,作家,芸術家など,そうそうたる講師のもと,カミオカンデや科学館,科学番組の 製作現場,芸術作品の見学など多くの実地研修を行なった.単に座学においてコミュニ ケーションのスキルを学ぶのではなく,それぞれの現場でプロの背中を見ることによって, コミュニケーションへの姿勢を感じ取ることができた.しかし,講師以外にもうひとつ重 要なことがある.このプログラムが副専攻的な扱いであるということだ.
 初年度は9つの研究科(理・農・工・薬・医・数理・人文・繚合文化・新領域)から14 名の大学院生が参加している.受講生各自がプログラムとは別に主専攻をもつため,”科 学技術コミュニケーション”という曖昧なテーマに対しても,それぞれが一定の距離感を 保ちながら自分の立場から発言することができた.そして,授業の内外にかかわらず,学 生間で議論をすること自体が小さな科学技術コミュニケーションになっていた.筆者にと っては,多様な意見をもつ仲間をもてたということがこのプログラムでの最大の収穫であ った.この副専攻という位置づけは,なにも科学にかぎらず,たとえば,政策や経営など についても理系文系を含めた多様な人材が集まって議論できる場として,大学院での教育 にもっと取り入れてもいいのではないかと感じている.

●副職としてのインタープリター

 「結局,科学技術インタープリターとは何なのか?」「プログラム修了後どのような職 につけるのか?」しばしば聞かれるこれらの問いに明確な答えはない.ただし,現在まで 約1年間受講していえることは,このプログラムは職業訓練の場ではないということだ. “伝える”プロになるには,副専攻として1年半学ぶだけではあまりにも物足りなく,やは り,社会で実践を積みながら学ぶ必要がある.しかし,ジャーナリストやライター,学芸 員など,いわゆる”科学技術コミュニケーション”の担い手にならなくても,このプログラ ムで学んだ”コミュニケーションへの姿勢”や”科学技術に対する多様な視点”を今後に生か していくことはできるはずだ.受講生のなかには,政治家や官僚を目指している者もおり, 修了生には既存の”科学技術コミュニケーション”という言葉に縛られない多様なキャリア が望まれる.筆者自身も科学技術を”伝える”ことを本職にしようとは思っていない.しか し,今後研究をつづけるにしろ,やめるにしろ,どのような職についても科学技術との接 点はもっていたい.一見,科学技術とは無関係な分野においても,インタープリターとし て科学技術との新たな結びつきをつくり出すことができないだろうかと日々模索している. 科学技術インタープリターの役割とは,”科学技術に対する理解”を社会に強要することで もなければ,”社会に対する説明責任”を科学に強要することでもない.まず自らが科学技 術をとおして社会のあらゆる事象について考え,さらに,周囲の人たちが同じように考え ることを手助けすることである.筆者はそう思う.

次回は,お茶の水女子大学の”科学コミュニケーション能力養成プログラム”です.

加村啓一郎(東京大学大学院理学系研究科修士2年)
E-mail:k1kamura@@biol.s.u-tokyo.ac.jp


10月| 大学院生,科学技術コミュニケーションを学ぶ(2)

お茶の水大学科学コミュニケーション能力育成プログラム
―みえてきた学校理科教育の限界・可能性―

 お茶の水女子大学大学院のプログラムは,現在・未来の理科教員たちが,すぐれた学校 教育を施せるようになるだけでなく,地域や家庭に”科学知識のインタープリター”として 根ざせることをめざしています.今学期前半の講義では,国内外の現行の教育制度ととも に,それを改善するためのグラント(SPP(脚注1)や科研費)獲得手法などの解説がな されました.筆者が重要と感じたポイントはつぎの3点でした.①以前に比べて授業時間 が削減された現在の理科教育現場では,時間的制約のなかでも生徒が実験できる機会を与 える工夫が求められていること,②戦後のわが国の教育行政は,”専門的な研究者を育て る”方針と”生活のなかでの科学リテラシーを上げる”方針とのあいだで揺れ動いてきたこ と,③欧米では,幼少のころから”科学の考え方(統計的なものの見方や,記述の方法)” を教養として身につけるプログラムが採用され,それが科学に関するキャリア教育にもな るということ,です.

 ③の例として,米国の中学生向け課題を紹介します.まず,生徒に1個の鉛の玉の入っ た黒い小箱を1つずつ配り,中身が見えない状態でその箱の内部の構造を予想させます. ふたを開けないかぎり,玉を転がそうが,叩いて音を確かめようが,なにをやっても構い ません.そして生徒たちは討議のすえ,もっとも優れたモデルを1つだけ提示しますが, 正解は最後まで明かされません.これは,科学という学問の実際の姿を鋭く表わす課題で しょう.教科書のなかの,あらかじめ答えの定まった実験しかできないわが国の多くの学 校とは異なります.

 今学期後半の講義では,科学記事やSF小説,科学エッセイなどを読み書きし,また, 国立科学博物館でのサイエンスショーや映像編集も経験しました.科学の世界をより身近 に魅力的に感じ,さらに,そこから得たものを表現する大きな喜びまで学べたのです. 以上のプログラムで学んだ教員たちは,多角的な科学教育活動を展開し,現在の教育現場 に慢性的に不足している,ヒト・モノ・カネの問題を一時的に緩和してくれるでしょう. しかし,筆者がこのプログラムで出会った教員の方々のお活からは,なにより時間が不足 していて,このような理想的な教育をやりたくてもできない実情が垣間みえました.求め られているものは,現場を重視した学校数育制度の根本的な見直しなのです.

 その点,このプログラムのすぐれた特徴は,同じ教室のなかに現役の学生,小学校から 高校までの教師,大学教授,教育関係公人,理科教育関係の民間企業やマスコミ関係者が 入り混じり,ともに理科教育の問題を熟考できることです.”科学”という分野の仲間であ るさまざまな人々が協力して,わが国の理科教育のあり方を方向づけ,教育行政を動かせ れば,わが国の科学界の未来を変えられるかもしれません.読者の方々が,本稿を科学教 育再考のきっかけとしてくだされば幸いです.

 さて,筆者は最先端の研究から得られた知への価値の付加に興味があり,民間企業の知 的財産部に就職します.魅力的な教員が育てた生徒のなかから生まれた,すぐれた研究 者・技術者たち.彼らが心血を注いで生み出した発明を,法とことばを介して守る知財の 仕事も,社会でますます重要性が高まる科学コミュニケーションの一種でしょう.そんな 分野に踏み込む意欲が湧いたのも,”教員養成”と銘打ちながら,広い視野で科学界を俯瞰 できたこのプログラムのおかげです.

 次回は,北海道大学の”科学技術コミュニケーター養成ユニット”です.

脚注1…SPP:サイエンス・パートナーシップ・プログラム.平成14年度から文部科学 省が出資している事業.生徒たちの科学技術・理数系科目への興味を高めるため,大学や 研究機関による中高生向けの実験講座や,教員研修を実施.さらに,その手法についての 調査研究も行なっている.

原田雅子(お茶の水女子大学大学院人間文化研究科修士2年)
E-mail:g0540471@@edu.cc.ocha.ac.jp


11月| 大学院生,科学技術コミュニケーションを学ぶ(3)

北海道大学科学技術コミュニケーター養成ユニット

 北海道大学のプログラム,科学技術コミュニケーター養成ユニットの略称は,”CoSTEP” (communicators in science and technology educational program)である.本プログ ラムの理念はこの略称”CoSTEP=ともに歩む”が端的に示しているだろう.CoSTEPはほかの プログラムの先陣を切って,第1期が2005年10月から2006年3月までという怒涛のスケジ ュールではじまった.本稿では,第1期選科生として受講した筆者の個人的な体験を交え て,CoSTEPの特徴を紹介したい.

 筆者がCoSTEPに入ったのは,長年の疑問を解くきっかけを得ることができるのではない か,という期待からである.学会発表や非常勤講師の仕事などで,自分のプレゼンテーシ ョン技術の未熟さを痛感してきた.いかにして聞き手の興味をひくか? 知識を与えるの ではなく,知識を得るための方法論を身につけてもらうにはどうすればよいのか?なぜ生 物学が知的娯楽として成立していないのか? そして,本業そっちのけで受講を決意した のである.第1期CoSTEPには,さまざまな目的をもった43名(本科生10名,選科生33名) が参じた.北海道大学の大学院生と研究生が半数以上を占めたが,会社員,主婦,翻訳家 や文筆家の方々も参加していた.このような多様な背景をもつ人々との交流は非常に刺激 的であり,自分の興味の背景と視界の狭さを再認識するとともに,多様な人々と協働する ことが求められた.受講生間において,すでにコミュニケーション実習ははじまっていた のである.
 選科生である筆者は,講義1科目,演習1科目,実習1科目を選択した.演習では,科学 記事の読み解きや作成だけではなく,ワークショップのデザイン,発声方法までを学んだ. 最終的には,クライアントからの依頼で遺伝子親換え作物条例に関するプレゼンテーショ ンを作成するという設定のもと,グループで作業を行なった.実習では,Webページ 「さっぽろサイエンス観光マップ」を制作し,記事作成のために企業などへの取材も行な った.このように,CoSTEPのカリキュラムは実践をとおして学ぶ点に大きな特色がある。
 しかし,半期ということもあるが,内容については入門編といったところだった.受講 生としては,CoSTEPで学んだことや人脈をきっかけに,さらに学んでいくことが必要だと 強く感じた.そして,この自主的な活動こそが科学技術コミュニケーション活動を根づか せ,大学における科学技術コミュニケーション教育を真に意味あるものとするだろう.
 その動きはすでにはじまっている.CoSTEP修了生などによる北大病院の院内学級への出 前授業や,サイエンスカフェ”ペンギンカフェ”の運営,また,書籍の出版企画も進行して いる.さらに,中学生から大学院生までの60名ほどが参加している”CoSTEP応援団”は,ボ ランティアとしてCoSTEPの活動の支援などを行ない,独自に”Ricafe”というサイエ ンスカフェも立ち上げた.また,”科学技術コミュニケーションフォーラム”という組織も つくられ,この夏にはJTBとの協同による”楽しくわかりやすい科学教室”を開催した. 筆者もこれに参加し,大学や研究者のもつ”商品”としての魅力を再認識することができた. また,個人としては,非常勤先の大学で討論を交えたワークショップ形式の実験をデザイ ン・実践し,学生のよい反応を得ている.

 筆者自身,今後は科学技術コミュニケーションにかかわる仕事がしたいと考えている. しかし,科学技術コミュニケーション教育の分野がバブルともいえるほどの活況を呈して いるのとは裏腹に,職業としては未開の分野だ.研究者のアウトリーチはあたりまえ,と いうのは非常に結構だが,なんのバックアップもなければ研究者の負担が増えるだけにな ってしまうだろう.大学や研究室に専門のコミュニケーターがほしい,という方は筆者ま でぜひご一報を.

 次回は,早稲田大学の”科学技術ジャーナリスト養成プログラム”です.

川本思心(北海道大学大学院理学研究科博士課程3年)
E-mail:ssn@@bio.sci.hokudai.ac.jp


12月| 大学院生,科学技術コミュニケーションを学ぶ(4)
早稲田大学科学技術ジャーナリスト養成プログラム

●プログラムの授業

 2006年4月から早稲田大学政治学研究科修士課程で”科学技術ジャーナリスト養成プログ ラム”がはじまり,現時点で約半年が経ちました.授業では,取材や記事の執筆,国の科 学技術政策の講義などがあり,なかでも,国際生化学・分子生物学会議を取材したときに は科学記者の仕事の一端を知ることができました.目当ての研究者が講演を終えると,す かさず走り寄ってインタビューの約束を取りつけます.インタビューのときは,世界の一 流研究者に直接話を聞ける嬉しさの一方,専門的な話についていくことはたいへんで.外 国人研究者の場合はなおのことでした.あとで録音テープを聞き直し,文献を調べるなど してやっと研究の内容を理解するのですが,今度はそれを一般の人にわかりやすい原稿に しなければなりません.読み手の関心をひくために切り口を面白くしたり,比喩を用いて 分子メカニズムを説明したりするなど,さまざまな工夫が必要です.この実習を通して, 科学記者に必要な能力を身をもって実感しました.

●職業としての科学ジャーナリスト

 科学技術の方向性を監視するため,科学ジャーナリストには科学技術にかかわる時事問 題を客観的に報道する役割が求められています.夏休みには独自のインターンシップが用 意されており,筆者は,毎日新聞社の科学環境部で2週間,科学記者の仕事を体験するこ とで,実際の仕事現場でその役割を果たすことのむずかしさを知りました.
 新聞社では,速さと正確さのほかに中立性が重んじられます.ある事件の被害者の記者 会見を取材して練習記事を書いたとき,筆者の原稿を読んだデスクに「双方の意見を書 け」と言われました.被害者の悲痛な訴えを開いたあとで,原稿は被害者よりのものにな っていたからです.報道では,一方が有利になるような書き方をしてはいけないとのこと でした.ただし,”ある生理活性物質の作用が解明されだ”というような科学報道では,” 新薬の開発が期待される”という研究者の意見しか書かれていなくても,「双方の意見を 書け」とは言われません.事件やすでに問題になっていること以外については,中立性は 薄れてしまうようです.特定の研究者や専門家の意見だけでなく,ほかの立場の意見もあ わせて提示することは,ある科学技術の向かっている方向性が正しいのかどうかを判断す る材料を人々に提供することになるはずですが,速さが要求される新聞社ではなかなかむ ずかしいことのようでした,
 講師として元NHK解説委員の小出五郎氏を招いたとき,氏がおっしゃっていた言葉を 思い出しました.「ジャーナリストは内発的な動機がなければ務まらない.まずは,自分 の価値観を構築することが大切だ」.現場で働くジャーナリストには,取材力や文章力, 専門知識のほかに必要となる資質があることを,インターンシップを通してあらためて認 識しました.

●プログラム参加者のこれから

 このプログラムの学生は16人.理系文系を問わず,多様なバックグラウンドをもつ人た ちが集まりました.2006年3月に理学部を卒業しこのプログラムに参加した筆者は,違う 分野の人たちと交流をすることで自分の視野がいかに狭いものかを知りました.科学ジ ャーナリストに必要な資質や能力は,学生どうしの交流のなかでもいくらか培われていく ような気がしています.
 ”科学ジャーナリスト”についての明快な定義はありません.たいていは,新聞社や放送 局の科学記者,科学系雑誌の編集者・寄稿家を指していいますが,このプログラムの学生 たちは必ずしもこのような職業に就こうとしているわけではありません.学生のなかには, 教師や医者,フリーライターもおり,プログラムを通してそれぞれが既存のものに捕らわ れない独自のスタイルを切り開いています.筆者も同様に,これまでの知識や経験を活か し,自分にできることを探していきたいと思っています.

 次回は,大阪大学の”科学技術コミュニケーションデザイン・プロジェクト”です.

秦千里(早稲田大学大学院科学技術ジャーナリスト養成プログラム修士1年)
E-mail:chata@@toki.waseda.jp